2018年6月14日(八段語録3314)
友との話
三十数年前に東京で一緒の友と久しぶりに長電話です。
最近、福岡に住んでいるという事が分かって、電話での交流になっているのです。
彼との会話は、昔にタイムスリップしてしまうのです。
彼の人生も昔の私も、彼を通じて蘇ってくるのです。
当時から私の型破りの人生を歩んでいたという事を、再確認です。
全日本の選手でもありましたから、気合が入っていたという事もあります。
一つしかない試合場なので、何万もの観衆が私の試合に注目が集まるのです。
究極の日頃の鍛錬の成果を出し切る戦いが始まるわけです。
もちろん、日々稽古で訓練してきた技を発揮するのですが、それ以上に目が違います。
食うか食われるかという状況の中で、決して自分に負けない姿勢を保つわけです。
目は相手を飲み込む勢いで、さらに技を有効に繰り出すという組手が始まるのです。
そのような修羅場を歩み続けてきたのですから、日々の生活も変化に富んでいたのです。
さて、その時の生き方のバックボーンが何であったかという事を振り返るのです。
手放したくないものが、ありました。
日々の稽古は、一度でも、一日でも手放したくないという思いが強かったのです。
これぞ、人間の努力でもってのみ、獲得し得るものであるという確信があったのです。
これが生命の根源を支配するような錯覚まで覚えたものです。
私の選手生命の動機や過程、そして心を動かすのは、稽古だったのです。
今でこそ、百キロの越えの巨体になっていますが、その時は引き締まっていたのです。
朝から晩まで稽古付けの日々は楽しいものでした。
総本部の地下のサンドバックを、塩舐めながら何時間も打ち続けていました。
私の稽古を邪魔するような人がいるようでしたら、火で焼き殺すような勢いでした。
稽古をしている時は、額から滝のように汗が流れ落ちます。
稽古をするという気持ちが、顔が真剣そのものになっていくのです。
稽古のみが、私の全財産のようでした。
これが、私の意志と力の象徴であったのです。
稽古は最高の価値を日々の生活に振りまいているようでした。
稽古さえすれば、自分自身が没頭できるし、誰もが付いてくるような錯覚にもなりました。
そんな勢いで、日々の生活をしていたのですから、福岡の友人も奇人のように思ったに違いないのです。
それでも、この友人とは、昔よく話をしました。
また、共にいてお互いを刺激するかのように感じて共に夢を持っていたのです。
話しているときは、ただただ嬉しくて仕方がないような私でした。
そして、大阪の金師範とのつながりで、三十年以上が過ぎて電話での会話になったのです。
友人の人生も波瀾万丈のようでした。
私も突拍子もない人生を歩んでいるのですが、お互い尊敬するようになっているのです。
そして、一言の言葉に、お互いへの思いやりが通うのです。
昔も今も変わらないのは、境界線を突破するような気持ちで生活しているという事です。
お互い年齢が高かろうが、人生を諦めない姿勢と、原子爆弾の威力よりも大きい気持ちがあるのです。
その気持ちは、生命を復活させる力を賦与し、人生の審判ではなく創造なのです。
世界を股にかけるという事は、このような大きな気持ちのような気がします。
友人とお互いに話をすると、東京で別れてから様々な経験があって、お互い違いのですが、夢と理想はお互い変わらず持っているという事です。
そして、彼はある目的をもって、九州を中心に何かを仕掛けているのです。
どちらかと言えば、講演をして多くの人に働きかけるという作業は、彼は得意のようです。
友人との会話は、すぐには終わらないのです。
九月に福岡で会う約束も取り付けました。
お互い若い日に共有した時間を懐かしみながら、更なる飛躍を目指したいものです。