2018年6月12日(八段語録3312)
宮城野保護司会サポートセンター稼働
六月から更生保護のサポートセンターが稼働することになりました。
今日の午後から、三時間の活用をさせて頂きました。
宮城野区の保護司が、全員で運営するということになったのです。
役員会・理事会を初め、対象者の面接もここで対応するようになりました。
午前中は保護司会会長が対応して、午後からは私になっていました。
交代の合間に、会長と色々と話すことができました。
今後の保護司会についてということから、幅広い内容に至るまで話していました。
今回の会長は、即決を旨として議案を丁寧にこなしていかれるという事です。
サポートセンターで作業をしている時に、米朝会談がNHKで放映されていました。
お互い宣言文に調印がなされ、平和の一歩が踏み出されるのではないかという期待が持てます。
もちろん、安心はできませんが、平和への前進がなされるように祈るばかりです。
トランプ大統領が北朝鮮の体制の保障を約束したようですが、最初に解放しなければならないのが北朝鮮の国民のような気がします。
さて、サポートセンターに対する意識は、罪を犯した人たちの立ち直り支援です。
この役割に対しては、愛情をもって、微動だにしない心構えを持ちたいと思うのです。
それが、私自身が抱く誇りであり、権威なのです。
例え罪を犯した対象者であったにいせよ、愛情には弱いものです。
人の愛情の香りをかぐならば、満面の笑みを浮かべることができるというものです。
誰もが愛情を願い、大きな愛情の中で、満たされたいと思うのです。
その聖なる拠点がサポートセンターということになるわけです。
この場所で、面接するなど、あらゆる事のドラマが繰り広げられるように思うのです。
私自身、保護司として、人の幸福を願いながら日々歩んできました。
人がなそうとする人格の完成とか理想の実現は、愛情を原点としなければあり得ないのです。
保護司活動を通じて、ドラマのような恩返しを受けたという事はありません。
それでも、愛情を注ぎ続けるならば、帰ってくる感動は大きいのです。
お金は、いくらか使ったならば、いずれは無くなってしまいます。
また、権力といえども、基盤がなくなって使い果たせば、いずれは無くなります。
それだけに、いつも手持ちがなくても与えることができ、満たすこともでき、さらには、喜び楽しめる内容というならば、愛情という事です。
人生を振り返ることもなく、私自身、少年時代のも愛情が注がれ、青年時代も、壮年の今も愛情によって生かされているのです。
もちろん、春夏秋冬の季節に変わらない自然の恵みを受けて育っているわけです。
私にも必要であった愛情を、更生保護という事で対象者に活用することも大切な事です。
このような更生保護という事での生き方を、仕事として役割を果たしているのではないのです。
あくまでも、ライフワークとして一生のミッションとして行っているのです。
確かに、保護司としての定年はあります。
それでも、BBSという団体に所属したことにより、元気であれば更にミッションを続けることができるというものです。
それだけでなく、極真会館という組織でも、その役割は果たせるのです。
色々と様々なトラブルは付きもですが、愛情でもって調和をなして永続させるのです。
愛情の求心力は、調和であり、生命の躍動がなされるところなのです。
そればかりでなく、一人で感じるのではなく共同していく事ができるというものです。
対象者と対等な関係を結び、愛することができるというのも自由なのです。
もちろん、強い拘束するような言葉も発することもあります。
守らなければならないことを守らなかった時には、激しく叱ります。
それでも、相手の為であるという事で、犠牲になっても対象者を生かすという気持ちがあるのです。
そのような伝統を立てようとするサポートセンターということになります。
拠点という場所になるのですが、それは愛情の柱とみるのです。