2018年6月11日(八段語録3311)
歩んできた極真空手の素晴らしさ
何気なく平素に極真空手という言葉を使っているのですが、振り返るまでもなく、内容は驚く歴史を積み上げてきたという実感があるのです。
空手界において寸止めが主流であったのにもかかわらず、フルコンタクト空手にしたのです。
大山総裁は、普通名詞のように空手を極真空手という事を提唱していたのでした。
今のところ、極真空手は私達極真だけが使っているだけなのですが、これから世界に普及するに値する空手なのです。
それも私の青春時代の全てを投入して悔いのない人生を歩んだという気持ちがあるのです。
当たり前のことを、当たり前に実践して、有名になったのですから感無量なのです。
大山総裁が立ち上げるまでは、極真空手は無かったのですから当然の事にも思うのです。
実際に修行を四十数年の間、継続してきましたが、誇りだけが心を覆うのです。
そして、その伝統を残すための手塚グループが、極真の伝統を継承させて頂いているのです。
極真の膨大な内容は、今までの歴史を踏まえずして、確実に分かるものでもないのです。
誰もが極真という名前を知らなかった時と今では、天地がびっくりしたようにも思うわけです。
そのような意味では、このグループを率いて前進するという事は、名誉なことです。
私自身、この道と決めて、修行を積んできてみれば、充実しているのです。
座標軸がしっかり立って、迷う事のない生き方ができたという事は、感謝に堪えないのです。
今後の人生も、この極真と共にありたいと願うのは、私の本心という事です。
さて、雨降りの一日ですが、妻とドライブに出かけました。
作並温泉へ向かったのでした。
若葉が青葉に代わり、緑も深くなって目に映るのです。
今日は、作並の露天風呂に降りていきました。
露天風呂のそばを広瀬川の源流が流れているのです。
雨が降りしきり、清流として流れる水は透き通っているのです。
アユが川面を泳いでいる様子もうかがえるのです。
モンシロチョウが山間を悠々と羽を広げながら浮いているようでした。
露天風呂から上がって、レストランで妻と昼食を取りました。
話が弾むのです。
環境が変わると、新鮮で良い気分で語り合えるというものです。
何の気なしの会話が、新たな生活の活力になるというものです。
夫婦との絆が、このグループの発展に欠かせないという思いになります。
帰り道は、小雨になっていましたが、靄がかかって幻想的な雰囲気になっていました。
夫婦で話をするという事は、夫婦だけに限っていることでなく全体を越えてしまいます。
誰もが好み、誰もが求めることができる道の追及には夫婦の会話は欠かせないのです。
そのような個人より家族という単位での歩みはさらに続くのです。
勿論、世界との協調も欠かせないという気持ちになります。
そして、その絆をつなぐ手段が極真空手という武道ですから感慨深いものがあります。
それだけに、真実にこの道を追求していきたいという気持ちになります。
極真の道を行く限り、漫然とした習慣化されたような歩みはしないのです。
この現実社会において、人となりのレベルの確立をしようとするのです。
私にとって尊い内容を誰にも触れられず、関与できない、すなわち自分の心の深いところに大切に常に埋めておきながら歩むのです。
貴重品のようでありますから、日々修練して磨きもかけるわけです。