2018年6月8日(八段語録3308)
いつも心は流れ出そうとする深いところから


 心の起源はという事を意識すると、深い深層の中にありそうです。
宇宙の全ての要素のエキスを吸い取って、さらに総合されているように思うわけです。
私の心は永遠でありたいので、魂は無くならないであろうと思うようにしているのです。
心は、いつも流れているようで、絶えず刺激を求めているようです。

今日も朝早く起床して、いつものルーティーンで行動しようとします。
ちょっと予定と違う事もありますが、しっかりこなします。
最近、膝関節の内側の起点になっている筋肉の部分が痛むのです。
そこで、接骨院に通って、針を打ってもらいました。

まだ二回目だけに、効果は出てきていませんが、回数を通えば、何とか治るという意識です。
膝を冷やしてから、マッサージをして、それから針を打つという治療なのです。
別に今のところは、歩くことに支障があるわけではないのですが、筋肉の痛みは取っておきたいのです。
年齢が高くなるという事は、肉体のメンテナンスが必要になってくるという事でしょう。

肉体を正常にしたいという気持ちは、魂の叫び声を内面から流れるように具体的に表現したいという事だからなのです。
体でも表現したいし、心の奥底に留めておいて、核爆発させたいという事もあるのです。
そんな気持ちを、踏まえながら、接骨院通いを継続させようと思っているのです。

 さて、家族を愛するという事は、心の流れのように思うのです。
愛情として流れなければ、具体的に心で家族を包むことができないのです。
生命があるところに、それなりの心があって愛情として発展していくように思うのです。
家族を守ろうとする気持ちがあって、愛情が流れ、目的が果たされるようにも思うのです。

それだけに、喜びや感動が押し寄せてくるのかもしれません。
それだけに、理想を追求していく意義があるようにも思うのです。
また、その理想を追求するだけでなく共有することを家族が熱望すると思っているのです。
理想を家族に連結させながら、より感動を呼び起こすのも生き方という事でしょう。