2018年6月7日(八段語録3307)
運営をして思う事


 ちょっと考えることがあるので、表現してみます。
東北学院大学に入学した時に、キリスト教精神に同意することで入学が認められました。
確かに、礼拝には一週間に一度強制的に出席させられました。
また、毎年キリスト教学が四単位あって、単位の比重も大きかったのでした。

それで、東北学院大学の歴史を紐解くと、キリスト教伝道師養成学校なのです。
聖書を学び、卒業して伝道師として日本中に配属されるという教育機関だったのです。
建学時は、キリスト教は耶蘇教と呼ばれて、認知もさることながら、国賊扱いもあったのです。
特に第二次世界大戦中は、その迫害は甚だしいものがあったと聞いているのです。

それで、何を言いたいかというならば、私が入学した時は、伝道師養成大学ではなかったのです。
確かに、神学部はありましたが、ひっそりした部であったことはいがめないのです。
建学の精神が、伝道師養成学校で、現実は、あらゆる学問をする場になったのです。
別にキリスト教が学生に比重を占めていたかというならば、まったくといっていいくらいないのです。

時代の流れと社会の要請に応えてきた東北学院大学は、二十万人ほどの卒業生を輩出しているのです。
それが、建学の精神とかけ離れているようでも、社会に影響力を与えているのです。
何を言いたいかというならば、時代の要求によって、建学の精神の実際が変質するという事です。
それで、あらゆる葛藤があったにせよ、現実を踏まえて発展している大学という事なのです。

 それを極真会館に当てはめても、同じことが言えるという事なのでしょう。
創始者大山総裁の時と、今の極真会館はかけ離れているようにも思うのです。
というのも、創立当初からいましたので、昔のままに稽古をしていたら誰も残らないのです。
子供達など創立当時は全く道場には通ってこないし、道場生も対象が違うのです。

それが、今では幼稚園児からお年寄りまで年齢の幅が広がっているのです。
稽古内容も厳しさ一辺倒ではなく、人に合わせた稽古になっているのです。
そのような意味では、設立当時と全く違ってきているという事です。
その事は、建学の精神や創立の精神から少し外れるようではありますが、仕方がないのでしょう。

日々が過ぎてみれば、過去という事です。
根本という事も大切ですが、現実の流れに身を任せなければならないこともあるようにも思うのです。
当然、本来の出発点は正しく掴もうとしますし、正しく求めるのです。
あくまでも、原因の起点をもって、いつでも合わせることができるように心構えるという事です。

もちろん、起点が盲目的になってはならないことは百も承知です。
極真会館の場合、大山総裁の偉大さを継承しながら発展させるという事です。
継承しても誤ってしまえば、社会から抹殺されるというものです。
極真会館は私の意志で創立したわけではないのですが、継承するとあらゆる変化があるという事です。

 そんなことで、継承していくという事は、それなりの誤差もあるという認識なのです。
また、ひょっとしたら手塚会長が語っていたことは、大山総裁を否定しているかのようにも映る場合があるのです。
決してそうではないのですが、聞く人からすれば、反対という事にもなりかねないのです。
それでも、手塚会長は千葉北支部の責任を持った優秀な方であったのです。

例えば、「空手は手段であって」という表現などは誤解が生じるのです。
しかし、極真空手の仲間たちが、家族であるという主張は一貫しているのです。
また、その家族を全世界に広げてきたのでした。
そのようなズレを大いなる問題として取り扱うかというならば、発展し、また消化してしまうのです。

それ故に、手塚会長は極真の起源と一致して、その起源の中心を後世に広めるという役割を持っているという事です。
重大な責任を持って、手塚グループを運営していたという事を、改めて感じるのです。
それだけに、手塚グループが果たす役割は大きいという事です。
継承させて頂いた私はというならば、何でもないような私の存在ですが、目的は継承されて大きくなってしまうのです。

このグループの理想の為に果たそうとする気持ちが私を大きくさせるのです。
そして、世界中に波紋を巻き起こすまで、歩みを止めないという事なのです。
それだけに、手塚会長の理想があって私が継承するという気持ちが強いのです。
私自身、理想の連結体として、日々夢に向かって前進するのです。