2018年6月3日(八段語録3303)
関東大会で思う事
新幹線小山駅で手塚代表と八時半過ぎに待ち合わせて、栃木市の総合体育館向かいました。
駅前には、白鳳大学のビルがそびえていました。
駅から、十数キロ田園風景の道を行くと、会場の体育館がありました。
手塚代表と会話をしているうちに、あっという間に到着でした。
午前中なのに、気温はぐんぐんと上がっていきます。
夏日のような初夏という事でしょうか。
この大会には、宮城県本部から十数名の選手が参加していました。
関東大会の全選手は、四面のコートで430名の選手でした。
こうして、大会に参加する選手を見ていると、しっかり稽古もしているようです。
妄想的・観念的では空手道に至らないということなのでしょう。
参加選手の表情は真剣そのものでした。
稽古を継続してきたからこそ、積極的に大会に参加もできるというものです。
結果、宮城県本部は、優勝が二名、準優勝が二名でした。
他の選手は、それなりの成績を収めて、後日頑張るという事です。
気持ちの良い天気に、一生懸命な選手の姿勢を手塚代表と見学して岐路に着きました。
さて、日々の稽古は、大会という場に、全て表現されるものです。
日頃の成果の集大成のようであり、また相手選手に磨きをかけてもらった大会という事です。
大会の様子を見ると、日ごろの稽古がすべて出てしまうという事でしょう。
いい加減な稽古をすれば、それなりの結果でしかないという事です。
空気を吸うよりも水を飲むよりも、切迫した気持で臨めば、それなりの結果が出てきます。
日々の稽古で指導を受けて、習い聞くという事は一体何であるかというのです。
間違いなく、自分自身を極真空手を通じて完全燃焼するためという事です。
そうすると、喜びが実感するというものです。
また、日々の稽古は、予防接種のようなものです。
稽古でそれなりの訓練をするのです。
それは、傷つき、排斥され、引き裂かれるような事態に備えるという事です。
世間はそんなに甘くはないのです。
どのように、稽古で自分自身に新しい信念と伝統を立てていくかという事です。
それは、稽古をすることによって、消化できるというものです。
そうすることによって、極真魂の奥義を勝ち取るというものです。
そのような意味でも、大会に臨んでも日々の稽古が大切であると思えるのでした。
結果が全てというよりは、日々の稽古が全てという事でしょう。