2018年6月2日(八段語録3302)
試練に備える人生


 錦が丘教室に夫婦で出かけました。
二回体験している家族に対面でした。
楽しく、稽古をしていたので良い雰囲気で会話も弾みました。
対象者には、妻がリードして話を盛り上げてくれました。

それから、幸町に戻ってきて二組の新規の家族との対面です。
一緒に道場生との稽古を眺めて、真剣に稽古をしている姿を焼き付けて帰路につきました。
夜八時過ぎまで、ゆっくり自宅で休養して、関東大会がある栃木市に向かったのです。
深夜の運転ということになりました。

高速道路での長距離運転を始めて新型プリウスphvに乗って移動です。
オートドライブ機能が付いていて、前の車との車間距離と速度調整をしてくれるのです。
三時間もすると、栃木インターンに到着です。
疲れもそんなに感じないままに、東急インビジネスホテルに到着でした。

ちょっと高速道路内で急速充電を試したのですが、ビジターでの充電は一分間五十円という事でした。
二十分で千円という事でした。
千円の電気で、50キロですから驚きを隠せませんでした。
トヨタの充電カードは、一分間で16円という事で、格段の安さなので、一安心でした。
それでも、50キロ走るには、300円かかるので、ガソリン代に合わせているという事でしょう。

そのような事も含めて、人生を楽しく生きるという事と、しっかり目的を持つのです。
私自身、生まれてくる動機を探ってみても、自分自身が生まれたくて生まれたわけではないのです。
そのような事を考えると、目的も自分だけのものではないという事は明白になります。
生活をするにおいても、自分だけの幸福という事もいかないという事にもなります。

自分の気ままに生きるるということを、主眼点に置くことはできないという事です。
それでも、自分を誇ってみたいとも思うのです。
思いのままに生きたいし、思いのままにエンジョイもしたいという事です。
そのような立場に立っている自分であり、交差点上にいつも、存在するという事も言えるのです。

自然界に春夏秋冬があると同じように、人生にもそのような内面の季節感があるのです。
もし、人生の現状が晩秋であり、冬が迫っていると仮定します。
冬の季節というものは、生命のあるもののみが、通過できる季節でもあるのです。
生命を持っていない存在は、この冬で後退せざるを得ないというわけです。

そう考えると、秋に種をしっかり蒔いて、生命の一点を刻んでおくべきという事です。
冬が来る前に、新しい生命を注入すべきであるという事です。
それはどのような意味かというならば、新鮮な気持ちで、人生を生き生きすべきという事です。
そうでなければ、人生の冬の試練を通過することはできないという事です。

 現状は、人生の終盤になって、高齢者丸出しという事です。
太陽が夕日の中で消えていく存在という事にもなります。
束の間の人生もここで終わりを告げるという事にもなります。
そう考えると、空しくなりますので、何かの準備の為に生きてきたようにこじつけます。

あの世に行くようになっても、それなりの世界があるというように思うわけです。
思想だけが混乱して、実践の伴わない考えが蔓延るということが多いのです。
例えあの世が無くても、一生懸命に実践できる世の中にしたいという思いにもなります。
その為にも、押し付けるわけではないのですが、明確な一つの価値観を見つめることができるようにとも思うわけです。

一生懸命に冬を越えて春を迎えるためという事なのです。
生きる時に、力を分散させたくはないという事です。
発展するのであれば、思いっきり発展したいものです。
冬も越えて、行くべき道をはっきり歩みたいものです。

困難も無念さも悔しさも全部超えるだけのはっきりとした目標を持つという事です。
そうでなければ、いつしか消えてしまいかねないという事でしょう。
人生を再検討して、家族が生き残ることが良いという気持ちにもなります。