2018年5月26日(八段語録3295)
夫婦ともに良き人格を目指す


 今回初めて、一緒に空手を習いたいという、新規対象者に妻と対応することにしました。
最初は仙台東口で新規対象者を待っていましたが、予定が変更になってしまいました。
それから、大和町吉岡に向かって、車を走らせました。
この会場で、二人の来場者がありましたので、妻が教室に入って対応してくれました。

それからすぐに、宮城野区幸町に帰ってきて、一人の御父兄に妻が対応してくれました。
午後十二時半から、夕方の六時半まで三か所の教室を回って、妻が道場のアピールをしてくれました。
妻が運営している下宿が六月に終了することもあって、道場に「女性の力を貸してほしい」と、お願いしたのです。
快く承知してくれて、早速今日からの活動ということになったのです。

夫婦二人で、道場に肩入れをするという事は、夫婦水入らずに活動することになります。
結婚した当時は、私の仕事を夫婦二人で取り組んできたのです。
それが、実家に帰って下宿をするようになってからは、いつしか、私の一人舞台になったのです。
それが、二十数年ぶりに、一緒に対応できるということになったのは、私にとって幸せというものです。

もう高齢になっている私達夫婦ですが、まだまだ社会貢献はできそうです。
中曽根元総理が今年百歳になったというニュースが流れていました。
それだけに、百歳という事を意識した人生設計もできるというものです。
そうすると、人生の活躍も、後三十五年はできるという気にもなるわけです。

 少なからず、私の視点は、どのような道場生に対しても、暖かい眼差しを差し伸べるという事です。
世の中の人々を眺めてみても、良い人もいれば悪い人もいるという事です。
例え、尊敬されようが危害を受けようが、心を広くして包むという事も必要だと思っています。
なるべく多くを受け入れて、喜びをもって迎え、また悲しむことも必要であると思うのです。

法務大臣から保護司を委嘱され、十八年の間、罪を犯した多くの人と対応してきました。
罪を犯した人が、更生していくにしても、私が裁かないという事を意識してくれるからです。
多くの対象者は、過去の犯した罪を告白して、委ねてくれます。
さらには、最大に私を信頼して、社会復帰の為の努力をするという姿勢になるのです。

私自身、保護司という立場上だけでなく、人格的にも対応できるように努力しているのです。
できるだけ、良い心で犠牲になり、対象者が希望をもって再出発することを誓えるように対応するのです。
私自身に、最大に委ねてもらい、また頼り、人生を生きる力の肥やしにして欲しいという事です。
世間から見放されようが、更生できるこの期間に、私は対象者の心の開放をするわけです。

私自身、好きな人だけを好むという事では失格という事です。
例え、どんな罪を犯したとしても正しい方向を示して、対象者を、好きにならなければならないのです。
そうしなければ、私に全てを任せて、相談し、将来の設計図を描くことができないのです。
私は保護司という立場を活用して、誠実な人格を獲得しようとしているのかもしれません。

 そんな姿勢を持っているからこそ、両面性があるという事です。
私を好む人だけを相手にして、憎む人は蚊帳の外にしてしまうという事にはしないのです。
できるだけ、懐を広くして、批判する人でも、それに対して嫌わないのです。
難しいでしょうが、それなりに頭を下げて貰うまで、信頼を勝ち取れればという意識です。

というのも、人には間違いなく良心があると思っているからです。
このような姿勢を貫けるのも、極真会館手塚グループの会長であることや、保護司であるということで、立場がはっきりあるという事なのかもしれません。
そのような事を考えながら、妻と一緒の一日を楽しく過ごしたのでした。