2018年5月25日(八段語録3294)
何があっても満たされたい思いやりと反省


 今日一日、まぶしい日差しの中で、健やかに過ごさせていただきました。
相も変わらずに、起床四時半、街中まで車で来て六時には坂下交差点に直行です。
それでも、今日は私自身の交通指導隊の任務がありますので、八時半まで交通指導です。
小学校の児童が元気よく歩道橋を駆け上がっては、降りてきます。

私の小学校の時代とは違って、一段と少子化が進んで、学級も半分以下になっているのです。
少ない子供を相手に教育する親達ですが、熱心な教育姿勢も目立ちます。
子供達に聞くと、習い事を週にいくつか入れて、学校と塾との通いで忙しそうです。
色々と社会問題とされている児童教育の課題も、行政の介入でより良い方向へ進展です。

ところで、家族には、様々な課題ありますが、子供達の姿を通学路で見ると一生懸命という気がします。
親から愛情が注がれているという事であろうと思うほど、明るく元気なのです。
入学式から子供達を眺めているのですが、日に日に成長著しいというところです。
自動的に、成長しているような気もしますが、しっかり愛情を受けて育っているのです。

子供達は、自動的にクラスメイトと仲良くなり、元気に通学しているという気がします。
もちろん、日によっては、悩んでいる顔をしていることもあるのですが、次に日には消えてしまっています。
子供達は、どれほど親から愛情を受けて、大きく素晴らしい傑作品という気がします。
学校教育の在り方は様々問われますが、学校に通う児童を見ると、守られているという実感をしてしまいます。

 さて、晴れ渡る一日を、肌で感じる一日です。
それも、朝から一つ一つの細胞で感じるようです。
言い換えてみても、全身が喜んでいるという表現になりそうです。
食事をするにしても、気持ちが前向きですので、美味しく頂くことができるというものです。

一日を肌で感じて、何かを体得するという予感がするわけです。
ひょっとしたら夢のような事が起こるかもしれないという気持ちにもなります。
あり得ないようですが、夢の中で親父に抱かれているような思いにもなります。
生きているということが、何よりも貴いようにも思えるわけです。

そのような感度のような度量があるというものです。
何かを行おうとするときに、陰ながら見守ってくれているようです。
それだけ、日々充実しているという事でもあり、冒険でもあるのです。
言葉を付け加えるとするならば、「愛情に満たされている」人生のようです。

 確かに平凡な一日という事でいうならば、特に変わった事はないのです。
妻が居て、子供達も元気で、孫もスクスク育っているのです。
それだから、家族や社会を守るという意識にもなるわけです。
実際に、今日は警察補導員の総会が仙台東警察署で行われました。

昨年一年の、東署管内の事件と事故状況の報告がありました。
件数は減っていますが、悪質なケースも増えているという事もあります。
それだけに、仙台駅東口の見回りの強化が必要になってきます。
さらに、警察署から少年指導委員という大役も再任されました。

その後、懇親会が開かれましたが、今年は警察官の参加は見送られました。
東署管内で、派出所勤務の巡査部長が飲酒運転で逮捕されたのです。
その為に、東署全体で自粛という事のようです。
実際、交通指導隊の懇親会にも警察署の警官は参加が無かったのでした。

警察官が、飲酒運転で逮捕されたという事は、事のほか大きいという事です。
東署全体で反省という事で、民間人との交流は控えているようです。
警察官個人の問題ですが、全体の戒めとしているようです。
一人の警察官の誤った行動を、全体で悔いているという姿勢を表しているのです。

そのような事もあって、懇親会は盛り上がりに欠けましたが、反省会になったのです。
奉仕活動の中にも、色々な事が起こるという事です。