2018年5月17日(八段語録3286)
決定した道でチャレンジ


 若き十代で人生の出発を自らの力で船出しようと思って、過ぎれば今になるのです。
決断はそれなりに的確で、早めの選択と実行力をもって前に進んできたつもりなのです。
ただ言えることは、誰もが行くようなレールに乗った道ではなかったのです。
自主性が強かったので、生活を最優先しないで、精神的なものをベースに切り開こうとしたのでした。

多くの人が後悔しているのですが、人生の出会いを誤れば、とんでもない道へと向かっていくという事を体験しているのです。
船が大海原に航海するには、羅針盤を中心に、出発した港から行くべき目的に向かうものです。
それが、私の場合、運命的出会いによって、心が納得して推し進めた道が、この極真の道なのでした。
極真空手そのものが、流星の如く世に現れて、私の肉体の強化と精神の健全性を担保してくれたのです。

私が出発しようとした港が、まだ誰からも認知されていなかった極真空手という武道であったのは奇遇なのかもしれません。
それだけに、羅針盤を持ったことになり、その到達点も描くことができたというものです。
はっきり大志を抱き、毎日全力で修行できる道が用意されたことは、私にとって良かったのです。
誰かに後押しされたのでもなく、運命の出会いをしたがゆえに、現在があるという事です。

それだから、くねくねとした自分勝手にさまようという、人生にはならなかったのです。
羅針盤があって、目的がはっきりしているがゆえに、コントロールできる人生になったのです。
分析するまでもなく多情多感である私が、健全に人生を過ごすことができたのも、最初の一歩が良かったのです。
今でも、極真空手という羅針盤の目指すべき道を、最高速度で日々歩んでいるという事です。

 さて、多くの人々は「人間は、来ては逝くものだ」とよく言います。
古来より、いくら立派な人でも死んでいきました。
間違いなく死んでいく事は、私にもいくら頑張っても続いているという事を考えるのです。
生命を頂いて、生きては死んでいくという事は間違いないという事です。
天下を支配した皇帝であっても、それは変わらないことなのです。
もうこの年齢ですから、「私は極真空手を指導して、世界に家族を作っていく」ために心血を傾けていくという結論にしているのです。
私がこの世に生まれて、このグループで家族を作るということで生まれてきたという事です。

別に私を持ち上げて何かを誇るという事でもないのです。
極真空手道をもって生き、世界に多くの「良き家族」を作ったということになれば本望なのです。
生まれたからには、生きなければならないわけで、その生き様があったということが良かったという事なのです。

とにかく、今もこの目的に向かって生命を燃やしているわけです。
私が活動しようが休もうが、この目的の為に進んでいるのです。
単に私だけでなく、このグループ全体が、今も進んでいるのです。
このことは、否定できない事実ということになるわけです。

 そのような事で、私自身が解決した人生として自信を持っているのです。
このグループに所属する道場生に対しては、「このように生きなさい」とはっきり言うのです。
人は短い生涯しか生きることはできませんが、完全燃焼の日々です。
やるべきことが、日々重なってきます。

それだけに、燃え続けていく人生になると思っているのです。
取り組むべき課題は多いのです。
ある小学校教頭からの意地悪もありました。
それも、全て解決してスッキリです。