2018年5月16日(八段語録3285)
良かったかな?我が人生


 幼少の頃から親戚と家族に恵まれて、平凡に暮らしてきました。
ところが、大志を十八歳の時に抱き、家出同然で社会の荒波に飲まれるようになりました。
心は純粋に保つことを旨として、どんなに屈辱を受けても、恥ずかしさを恐れることなく歩みました。
社会に出て、実感したことは、どれだけ両親が私を守り育ててくれたかという事でした。

そのような意味では、両親の恩恵がいかに大きかったかという事を実感したものです。
家出をして分かったことは、何が良いといっても、両親の愛情のパワーほどのものはないという事です。
それでも、家の敷居が高くて、一旗揚げて錦を飾らなければ帰ることはできないという決意でした。
いつも、枕もとで、思い描いたことは、親戚と家族の愛情を受けたという事でした。

いったん、家を出てみなければ、家族の有難さは分からないものという事でした。
三十九歳の時、妻と子供達を連れて故郷に帰って、両親から暖かく迎えてもらいました。
二十年間の歳月を経て、世間の荒波に揉まれてみて、初めて気づく親の愛情という事でしょう。
私が、家を出て世間をさまよっている間も、両親は私を放棄することなく、首を長くして待ち続けてくれたという事です。

おかげさまで、七年前に父親は亡くなりましたが、故郷に帰って、二十年間親孝行ができました。
また、母親の介護を現在進行形で出来ていることが、実に有難く思っているのです。
赤ん坊であった私が胎中から、健全に身ごもって、生まれてからも、育ててくれた両親に恩返しができたという事です。
また、人生の生活が、健全であり続けることができるように教育もしてくれたのです。

 ところで、両親から受けた愛情だけで、世の中を渡り歩くことができたかというならば、難しかったという結論なのです。
両親からの教育では、世間の荒波に拍子を合わせていけるという事にはならなかったのです。
正しい事だけを家では教育されたものですから、世の中とは相いれず、打ちのめされることが多かったのです。
理想はあっても、現実の環境は絶えず矛盾が大きかったという事です。

自分の生命力が、世間の荒波によって、春を迎えて芽を出すことがないようにも思えたものです
春を迎えて、花を咲かせるという意識は強くあったのですが、世間は許さないのです。
このまま、春を迎えたのにもかかわらず、逝ってしまうようにも思えた日々があったのです。
このまま、夏と秋を迎えることができないようにも思えた時期が何年も続きました。

私と同じように、周りの友達が挫折していく姿を目の当たりにしたのです。
特に、能力のある人ほど、芽を出すことなく、志半ばで去っていったのでした。
同情するも、自分の行くべき道が忙しく、対応せずに来たのは申し訳なく思うのです。
ただひたすら、極真の道にすがったということだけでした。

それでも結果的には、私の生命は、全力で投入しましたので、それなりに実が結ばれようとしたのです。
夏の季節を過ごし、根と幹と枝と葉が生命の要素として吸収して力強くもなったのです。
何かしら、完全な生命力というものが、備わったという事のようでした。
新しい極真の世界を作ろうと再び生まれる生命の機運が膨れ上がったようでした。

確かに理不尽は付きものでした。
数限りない矛盾を背負いながら、葛藤して誤魔化しながら進んだ日々は忘れないのです。
誰からも自分の価値を決めつけられないように、自意識を高く持ったものです。
道場に通う私は、修行僧のようなものですから外見はみすぼらしい青年にしか見えなかったのです。

それでも、日々の稽古を怠ることなく、精神充実させながら、自分の価値を高めようとしたものです。
そうすることによってのみ、自分の人生が保証されるようにも思ったものでした。
今でも、謙遜な心を忘れずに、このグループの責任者として戦いを進めたいのです。
そうでなければ、人生の終止符を打つことはできないという気持ちになります。