2018年5月15日(八段語録3284)
極真空手を追求していくと


 今でも、日々稽古をするという事を、モットーとしています。
そして、極真の奥義とも言える、伝統を後輩へと伝達しようとしているのです。
この事は、簡単なようですが、まぎれもなく本人は、未熟なのです。
それで、伝えるのですから、支離滅裂になります。
私が経験した修行時代は、指導者によって、強調することが違いますから、伝言ゲームのように答えがまちまちなのです。

そうすると、極真空手そのものが、修行をしていく中で、指導者によって違ってくるという事実が、突き付けられます。
事実私は、北海道札幌の高木師範、広島の森師範、香川で長谷川師範、本部池袋で大山総裁、そして、関西本部では津浦師範、故郷に帰ってきて、安斎師範と手塚師範、全国各地で極真空手の指導を受けてきたのです。

もう今では、分裂してしまいましたので、今では同じグループしか移動できないのです。
かつて、大山総裁が全責任を持っていましたので、全国どこでも極真空手を学ぶ事ができたのです。
私自身、出張が多かったので、札幌では八年、広島四年、高松一年、本部で四年、関西四年、そして、故郷に腰を落ち着けて、三十年近い修養年数に至ったという事です。

何を言いたいかというと、「極真空手は何か」という質問を受けた時、答えるのは非常に難しいという事なのです。
それで、私が最終的に継承したのが、手塚会長の指導だったのです。
これが、今の私にとっては、救済という事にもなったのです。
二十数年及ぶ指導を受けて、骨髄の芯まで手塚会長の発想に染まってしまったのです。
それで、極真空手というならば、私にとっては手塚ニズムという事になったのです。

 さて、極真空手というものも様々経験して、自分の修行人生は、指導を受けたことが、全てという発想でした。
各道場で違う指導ですから、前の道場で教えてもらったことを主張すれば、受け入れられない訳です。
もちろん、全日本選手権に参加することが出来るようになったのですから力は付いたのです。
だからと言って、所属している現場の「各道場の責任者が認める訳ではないので、一種の矛盾状態になったのでした。

それで、最終的にたどり着いた、手塚会長からのメッセージは、「夢を追いかけて稽古をする」という事でした。
手塚ニズムの原点は、「誰が夢を持つか」という事に対しても、本人一人一人であるという発想でした。
つまり、自分が楽しくなければ、何の意味がないという事を絶えず強調するのです。
この理想と夢が、家族を原点とすべきという事を根底にしたのです。

今は、手塚ニズムに則って、家族を大切にしています。
現実は、高齢化して死んでいくという事なのですが、直視はしていないのです。
老いて死んでいくという事だけに終始するならば、何の希望も持てないからです。
身悶えしながら今からでも、成長しようと家族で生活しているのです。

家族で作られる束は、一体何であるかという事を感じ取るように心がけています。
その結ばれるもの中心は一体何かという事を考えるのも常なのです。
たまたま、私達家族は、極真空手という登山口を見つけたという事なのです。
その道のりを、しっかり歩めば、何かに出会えるという「未知への旅立ち」という事です。

それだけに、常に夢を抱く人生を送っているという事でしょう。
夢を抱く人生の原点を極真空手の修行に置いているのですから、笑われます。
人と違った道を歩んでいるという気持ちもあります。
それでも、到達点は人生を究めれば、同じのような気がします。