2018年5月14日(八段語録3283)
内容で生きる


 衣食住だけにこだわると、つまらない人生になりそうです。
日頃から、財テクに関しては無関心を装っています。
もちろん、食べていかなければならないわけですから、ある程度お金は必要です。
だからといって、必要以上のお金はいらないと思っているのです。

それでも、現実には教育費から食費から光熱費から様々必要な経費はかかります。
妻の顔を眺めても、必要なお金が少ないような表情になっています。
それだからといって、お金を稼ぐという気持ちにはならないのです。
ただ社会の為に役立つという、志だけしか抱けない私になっているわけです。

極真空手に対しても、武道とか武士道を深く掘り下げて「うんちく」を述べようとは思わないのです。
「型」がどうのこうの、「組手」がどうのという事にも拘らなくなっているのです。
ある程度究めると、それほど魅力的な事のようにも思わないのです。
それでも、極真空手に対する執着は、誰よりもこだわるのです。

何で、そんなに拘るかというならば、極真空手から広がる新たな次元の高い世界があるのです。
その世界を満喫したいがために、極真空手道の道を追及するというのが本音なのです。
その世界は、思いやりであり、教育という名の愛情としての眼差しなのです。
それがゆえに、嬉しいのであり、手放したくはないという心境になるのです。

 さて、六十歳の後半まで生きてみて、感じることは、生命の根源まで支配できないという事です。
もちろん、私の生命の誕生もその動機も過程も、どうすることもできないのです。
だから何を言いたいかというならば、どうしようもないことは、置き去りにしているのです。
それだけに、楽しい事だけを拾い集めて味わうということにしているのです。

その楽しいという発想は、「夢と希望」ということになるわけです。
その為には、日々の生活の現実を見つめるというよりは、「内容」を追っかけているのです。
それだけに、努力を惜しむことなく、「ふわふわ」していると言われても愛情を大切するのです。
愛情のこもった気持ちを持ちを、死ぬ時まで、そのような姿勢を貫きたいという事です。

確かに、朝起きると白々として、昼には空は青く、大地はまばゆく輝いているのです。
また、夕暮れになると黄色くなり、夜には真っ黒になってしまうのです。
それで、私の心の色はというならば、愛情が満ち溢れていると明るいのです。
それも、自然の移り変わりの色よりも輝きを増しているのです。

家族の中に入り浸っていると、自然の花よりも、顔に花が咲くのです。
何がそうさせるのかというならば、家族に対する思いやりなのです。
決して、経済的な潤いから人生の花が咲くわけではないようです。
それだけに、毎日家に帰って孫や息子夫婦、そして子供達と妻と顔を合わせるわけです。

 ところで、今日は、天気予報では、雨でしたが一日中晴れていました。
五月晴れの一日を気持ちよく過ごしていました。
もちろん、家族であったり、物であったりに出会う事で心地は良いのです。
特に、今日は、スマホ感覚の車、プリウスphvの納車が夕方にあるのです。

セイロモーターズの社長が夕方六時までには、準備していました。
それまで、午後から半日、宮城野保護司会の総会がありました。
そこで、事務局長としてのお役目も頂いたのです。
その事に対しても、緊張していましたが、中古車に対して心が飛んでいました。

それもこれも、これからの人生をリードして役立つことばかりです。
そこに、公式性を帯びた無形の秩序のような安堵感があるのです。
やろうとする意欲が増してくるわけです。
私自身の意志と力が立場やプリウス新型phv車によって、さらに引き出されるわけです。

何かしら、全てが付いてくるような錯覚さえなるわけです。
緊張感もありますが、それ以上にただ嬉しいという感情が強いのです。
今の心境は、瞬きすれば、天地が出たり入ったり、天地がひっくり返りそうです。
生活の葛藤や、様々な思いがありますが、「内容」で勝負というところです。