2018年5月13日(八段語録3282)
横浜の大会


 横浜文化体育館で大会が行われました。
極真会館宮城県本部から七人の選手が出場しました。
中学校重量級で、一人が優勝しました。
他のメンバーは善戦しましたが、入賞に至らなかったのでした。
それでも、試合に慣れて、次の大会では本領を発揮すると、我が道場の選手たちは意気込んでいました。

会場のすぐそばでは、横浜球場の声援が大きく聞こえていました。
横浜ベースターズとヤクルトの対戦でした。
大会からの帰り道では、応援のファンの人の波がJR館内駅に押しかかけていました。
雨が降ってきそうでしたが、応援のファンは興奮気味の表情でした。
道場生の全員の対戦が午後一時半には終わっていましたので、早めに帰ることができました。

それにしても、父兄と選手との交流が大会では密になります。
負けても勝っても、一生懸命な道場生の戦いぶりを、直接私が行って、見届けるという事は良いことです。
実に、親の真剣な子供を応援する気持ちに、空手の指導者であっても、負けそうになります。
それだけに、我が子の成長を願う親達の姿に、うらやましくも思うのでした。

子供の個性や資質もありますが、父兄の子供に対する眼差しが子供の成長に欠かせないようです。
冷酷にも、試合ははっきりしているのです。
負ければ泣きじゃくるし、勝てば誇らしい姿を皆に見せているのです。
大会は、道場生を大きく成長させる、最高の教育の場であると思うのでした。

 さて、大会会場での私の心の内容はどうであったかという事を検証するのです。
試合に勝ってほしいという事よりは、成長を続けるために空手をしっかり継続して欲しという事でした。
理念と人格そして日々の生活を空手道と一つになって人生を歩んでほしいという事です。
なるべく、私が願っている方向に一致して空手の修行をするという事です。

道場を開いている限りは、私が歩んだ極真空手の道を踏襲して欲しいのです。
もちろん、それ以上のレベルに立つとするならば、それに越したことは無いのです。
私は、今の道場生を迷わせるような歩みを、極真空手でしてこなかったという信念があるのです。
一生懸命に極真を歩んできたがゆえに、道場生の根源になっていると確信しているわけです。

極真空手道に対する確信があるから決定的な表現をしてしまうのです。
こうであろうという不確定な表現にはならないのです。
先駆けて、この道を歩んできたという誇りからなのです。
それだけに、自信をもって提示することができる道であるという事です。

このグループは、私の心掛けで運行するという気持ちでいるので、責任を感じるのです。
空手人生の青春を全力で駆け巡ってきました。
その内容が充実していたので、道場生にもそのエキスを紹介するのです。
それだけに、絶対的という表現になるのは、致し方がないことなのです。

 ところで、前述したように道場においての指導は、断定であり命令なのです。
道場生が勝手に稽古をするという事にはいかないのです。
それは、私としても極真の伝統に文句をつけることができないくらいなのです。
何故ならば、極真の伝統を中心に世界に広がっていったからなのです。

要するに、根っこは一つという事です。
私はその根っこに繋がった幹であり、道場生は枝や葉っぱであるという事です。
そのように極真の伝統には生命が通っているという事です。
それだけに、血が通っているのであり、愛情がこもっているのです。

それだけに、生命と血が通っているだけに、成長するはずだという結論を持つのです。
大会で今日も成長した道場生を、目を細めて眺めていました。
有難いことです。
こんな天職を持ったことに、感謝しかないという思いになって会場を後にしました。