2018年5月10日(八段語録3279)
修行で得た感動


 このグループの教育は精神を代表し、稽古の強化を意味するのです。
このような単純に整理して、純粋に取り組むという事を行っているわけです。
有段者になるまでは、円熟した精神と肉体が鎧のように個性に根ざすのです。
そのような理想を描きながら、手塚グループは健全に存在しているのです。

何故、極真空手道に取り組むかというならば、楽しく生きるためという一言です。
心身が成長して調和するようになると、真新しいところ行けば、山が違い、海が違うのです。
また、細かく眺めると、海の色や、岩が違い、木々が違うのです。
そのように、人を大切にすることができるのであり、自然を抱くことができるというものです。

極真空手の修行は、どこに行っても適切な環境に創造できる能力を形成するという事です。
世の中は、科学が発達して最高の技術を駆使するようになっているのです。
その現代文明を活用して、より楽しく爽やかに生活ができるというものです。
私自身、コンピュータを駆使しながら、何ができるかという事を念頭に置いているのです。

お金はかかりましたが、新型プリウスphvに対して強い関心を持っているわけです。
六十八キロのモーター走行ができ、市内であるならば、燃費を太陽光発電の電力で十分賄えるのです。
また、年齢を重ねてきていますので、セイフティネットを駆使して、事故を減少させるコンピュータ装置を装着しているのです。
人はもちろんのこと、前方の車とぶつからない技術、アクセルの踏み間違いによる飛び出し、前方の車の速度に追随するオートクルーズと様々です。

 その新型プリウスphvも十四日には入荷してきます。
車の運転に関しては、快適性と安心・安全を身にまとうようになるのです。
もちろん、仕事で活用するのですが、それ以外に景色の良いところを訪ねることができるというものです。

私達夫婦はもう老夫婦の領域に入っています。
二人でドライブという選択もあるという事です。
極真空手は、私本来の能力を引き出すという方法手段になったのです。
結果、四十年以上も夫婦として共に暮らすことができました。

夫婦関係は、芸術そのものです。
刺激が強いのです。
言い合いにもなりました。
その為に、例えるならば、南極と北極に別れて何日も過ごすということにもなっていました。

それもこれも、芸術のような美しさや貴さ、価値があるがゆえに耐えられたという事です。
暮らすことが、「全て喜びであった」と今は思えるわけです。
環境的条件が整って、コンピュータも駆使して趣味が広がるというものです。
そして、夫婦でその環境に根を下ろして、愛と理想を掴むということにもなるのです。

それだからといって、一人で楽しいはずはないのです。
私が妻を失ったら、狂ってしまいそうになるでしょう。
妻がいて、環境という資材があり、環境からエネルギーを頂きながら、愛情を豊かに満たしているということになります。
理想の生き方が、極真空手という切り口で編み出されたという事でしょう。