2018年5月2日(八段語録3271)
自信の持てる生き方


 道を究めるという事は、厳しいのですが素晴らしいことです。
根源から出発して、最後に至ろうとするのです。
最後まで行きつかなければ、道を究めたことにはならないという事です。
極真の人生は、その根源から最後まで、消化していく事に他ならないのです。

その人生の切り口を、極真空手にしたのですから、極真の伝統に則るのです。
稽古を通じて、道理を身に着けて実践しようとするのです。
道場生の為にも、私の役割は、理想的なモデルになるという事でしょう。
実際は、まだまだ不十分なのとは承知しているのです。

道場生が東西南北に進んでいく中で、原点となれるように中央点でありたいと思うのです。
それは、道場生に理想的教育を下すことができるという立場の確立にもなります。
道場生がどこへ行こうとも、見本となれるようにという努力をするという事です。
そうでなければ、道場生が良き人材として成長できないという事になりかねないのです。

いつも私の課題は、模範的なものを提示することができるかという事です。
それだけに、気まま勝手に暮らすことはできないという事です。
それだけに、しっかりとした威信を抱くことができるようにしたいものです。
それだけに、日々格闘中という事になります。

 さて、今まで取り組んできたことは、故郷のこの町に貢献することでした。
その為に、誰もが受けないような奉仕活動へと舵を取ったのです。
奉仕活動の中でも、受け入れられないことにも出くわしたのです。
それだけに、最後まで奉仕の精神を貫いてお役目を終えようと思っているのです。

誰の教えを受けなくても、心の願うような利他主義は、自分の誇りなのです。
そのような意味では、開放的自我の確立を目指そうとしたのです。
どのように生きるかという事に対して、決定権を持っているのも自分です。
また、間違った事を訂正する決定権を持っているのも自分なのです。

あらゆる境界線のはざまで、意思を決定できるという素晴らしい存在なのです。
そのような意味では、建設と破壊を同時にするという事も事実なのです。
つまり、建設と破壊を、私の一身で起こすことができるというものです。
それだけに、道場で稽古をするという事の意味は大きいのです。