2018年4月14日(八段語録3259)
プライド


 誰でも人は、責任を持って対応しようとするのです。
責任を果たそうとするという事は、重大な決意をするものです。
責任を果たそうとあらゆる企画を練って備えるものです。
そして、対応するようにあらゆる準備をするものです。

今回、保護司会において、事務局長という立場を与えて頂くという事になりました。
理事会で承認を得たので、総会で最終的に決定という事です。
そのような意味では、今後保護司会において、責任を果たすという決意をするのです。
お役目を果たして、成果を上げたところから、信頼を得るというものです。

この事務局長の立場は、責任の範囲がどこにあり、どのように行動するかという事です。
苦労しようという心構えが無ければ、批判もされかねないという事です。
このことを骨身にしみて感じるという事が必要であると思うのです。
そんな、姿勢をもって、対応しようとする自分があるのです。

本業の極真会館手塚グループにおいて、会長という立場でお役目を頂いています。
運営において、スタッフの協力を最大限に頂いて、最高の実績を上げる覚悟です。
最前線という意識で、トップに立つという事で、日々身が引き締まります。
それだけに、昨年一年間の成果と、今年度の決意を引っ提げて前進あるのみという事です。

 さて、私も人間ですので、責任を果たす立場を予定されて、梯子を外された経験があります。
あらゆる準備をして、それに備えてという事を意識したわけです。
そのように梯子を外された時に、どのような心を抱くかという事が自分の課題です。
多情多感なだけに、血気を前面に出すという事は、もう若き日の頃かもしれません。

その時に、立場が重要であり、そこにプライドを抱くという事なのかもしれません。
昔には、こっちに行こうとして引き裂かれるという経験をしたものです。
割れたひょうたんのように蹴られたら、割れてもまた転がっていかなければならないというのが悟りでしょうか。
今では、時を待ってという事で、試練を静かに通り過ぎるようにするだけなのです。

パンと蹴られて、靴の跡が顔につこうが、転がって、行くだけという気持ちなのです。
また、全身傷だらけになったとしても、転がって、道を行くのが人生であるという事も悟り始めているのです。
そんな気持ちですから、反論をするよりは、大人になって身を任せるという事です。
そんな状態に身をゆだねるという事も学んでいるという事です。

理不尽な事は、用いられながら、保留され、否定されるというとでしょう。
それは、人として一生の間、付き纏う事だという事です。
それだけに、百の経験をするとするならば、九十九は否定されると自覚するのです。
その九十九が肥やしとなって、一つが花を咲かせるというものです。

 ところで、私のブログにかなり批判的な人がいて、無茶苦茶な話をしていました。
私の姿勢は、その人に対して、まったく無視です。
戦っているレベルが低すぎます。
これに歩調を合わせることはできないという事でしょう。

それでも、愛情を抱くように努力はするのです。
また、愛の鞭を放つ必要もあるかもしれません。
そうするなかで、自らの人格の錬磨を図ろうとするのです。
今日も、収穫の多い一日でした。