2018年4月12日(八段語録3257)
ブログ表現の心境


 本来の私の発想は、直接会って話すというスタイルなのです。
また、多くの人が集まった時には、一人一人に話しかけてきたのです。
不思議な事に、若い時から人に話をするという立場に立つことが多かったのです。
話す動機も、自己満足という事ではなく、話すことによって引きあがってもらいたいという気持ちが強かったのです。

その人が願う事を、誠心誠意に、語りつくすという姿勢が強かったのです。
その為に、あらゆる準備をしてきという事もありました。
多くの会話は、生きた体験談というのが、全てという事でした。
それも、対象者の話を聞いた後に、誠実に話すという姿勢を貫いてきたのです。

それでも、女性と話すときは何人もの人を合同で話すことを心掛けていました。
一対一での会話は、弱い心でしたので、決して対応しないように努力したものです。
自分自身に自信がなかったという事が真実のようです。
それで、私の自覚する限り、個人的な好意を持たれたという事はなかったのです。

横道に逸れますが、私の妻の千順さんとは、お見合いからの一目惚れという事でした。
そのような豊富な人間関係の会話の延長から、ブログを始めているという事です。
原点は人間が大好きであるという事と、人の道を求める求道者でありたいという事でした。
その生きざまを、ブログの中で表現しているという事です。

 さて、ブログの話に戻ろうと思うですが、理想は高く率直な気持ちを表現しているのです。
ブログを表現するための準備はほとんどしていないのです。
何に重点を置いているかというならば、道場生を初め対象者そのものなのです。
いつも道場生と面密な関係をもって、語り掛けるようにブログを表現しているのです。

ブログ内容は、いつでも違います。
対象とする人を思い浮かべるだけで、十人十色の人に違ったブログということなのです。
要するに、時と場所によって全く違ったブログ内容になっていくという事なのです。
キーボードに打ち込む時は、雑念がない無の境地になっているのです。

有難いことに、浮かんできたことを即座にデスプレーに表現できるのです。
創造性が豊かであり、その思いの丈を申し分なく、キーボードを叩くという作業です。
私が注意していることは、私自身がどのような方向に向かっているかという事だけです。
それに、歩調を合わせてもらうとするならば、限りなくブログは生きてくるというものです。

何かを伝えたいという意識は誰よりも強いのです。
それも、六十五歳までの全てを語りつくしたいという欲求にかられるのです。
このブログの表現が、この手塚グループのレベルになると肝に銘じているわけです。
そして、レベルを高く保って、日々の修練に励んでもらいたいという思いなのです。

 ところで、いつもブログを書く時には、真剣になるのです。
時間を取って、書こうとするまでは、ウロウロしていて始められないものです。
道場生を生かすための注射をするように思っているわけです。
それだけに、私の生活の事をただ表現するという事ではないのです。

トレーニングをして、気合を入れてからブログを書く時もあります。
心が乱れているときは、何時間も部屋をウロウロしてしまいます。
この手塚グループの存亡という思いで書く時もあります。
昨年一年は、手塚会長が死去されたという事もあって、存亡をかけた気持ちでのブログとの対応でした。

本来ならば、全道場生を集めて、講演をしたいのです。
間違いのない生き方を学んで今まで来たものですから、これをステップ台にして羽ばたいてもらいたいという事です。