2018年4月11日(八段語録3256)
日々を大切に


 日々の生活で気を付けていることは、肉体を健全にする事と、魂の純化という事です。
ダイヤモンドのように輝かないまでも、水晶のように透き通った自己を目指そうとするのです。
一日二十四時間ありますが、そのうちの二時間は肉体の管理の為のトレーニングです。
また、さらに二時間をブログで書きながら、自己管理に徹するという作業をしているのです。

いうならば、生活の中にいかなる汚点もないようにという意識は強いのです。
生きているという事だけで満足せずに、砥石で魂を磨くという作業をするわけです。
それは、どこから由来するかというならば、極真の八段という意識からなのです。
人生を修行の連続であり、その後を多くの弟子達が登ってくるという事からなのです。

私自身の修行生活は、まだまだ続くのであり、生きた生活が重要という認識なのです。
それだけに、自分自身を透明に、誰にでも見られても、「良し」とするのです。
最近の映画を見ても、情報を入れれば、世界中の人物を特定できるというシーンが出ます。
それと同じように、直ちに、人の生きた歴史が出るような時代にもなると思うのです。

そのようにコンピューターが世界を網羅する時代ですから、正しく生きるというテーマは「良い」という事です。
要するに、時間と空間を超越して、コンピューターは捉えるという時代に入っているのです。
私自身が毎日表現するブログも、日々の生活の記録帳というところでしょう。
そして、日々実践しているすべて、をコンピューターに入力するように表現しているのです。

 意識としては、私の行動の一つ、表情の一つ、全てをカメラに映し出されているという前提なのです。
けっして、自分の心を隠すことができないように、誰にも見えるようにするのです。
心は当然ですが、あらゆるものが表面に、さらけ出されるという思いで生活するのです。
それだけに、弁明することがないようにしたいし、誰に対しても恥はかきたくないのです。

最近、AIが叫ばれていますが、ロボットが相当社会で活躍するようになっています。
それでも、人間の脳をはじめとする人体は、ロボット以上であることは間違いないのです。
それゆえ、自らの記録が、百パーセント自身のコンピューターに入力されているはずです。
私の心はというならば、誰の目にも展示されるハードデスクのようなものという事です。

感情の全ては、記憶されているという認識です。
私自身振り返っても、一生の間の自分の行ってきたことは知らないという事はないのです。
私は、2003年からブログを書き始めていますが、その時のブログを読めば蘇る思い出が多いのです。
もし、私が、浮気をしたり、ばかげた事をしてきたならば、目を覆うばかりになるのです。

今日は、そんなことを表現してみました。
何を言いたいかというならば、日々を大切にするという事です。
それがお天道様を見て歩めるという事だと思うのです。
そこから、人生の何たるかが描かれるというものです。

 余談になりますが、最近妻から愛情あふれるラインが届くようになりました。
日々の生活では何にも言わないのに、ラインでは感謝の気持ちが満ち溢れているのです。
昨日から始まりましたが、続くことを願っているという事です。
それにしても、実に感謝な事です。