2018年4月10日(八段語録3255)
中学校入学式と私の教訓からの青年指導


 今日は、地域の中学校の入学式に来賓で出席してきました。
小学校という六年間の学び舎を後にして、中学三年が始まるのです。
もちろん、ゼロから中学に入ったのではなく、義務教育として、小学校との二重構造の一体性があるのです。
この期間は、どれほど貴重であるかという事を、今にして感じさせられます。

掛け替えのない中学生として、三年間歩む青少年時代という事です。
何度でもいうようですが、どれほど貴重であるかという事を、当事者の中学生以上に思うのです。
なんでも思う存分チャレンジできる時期であるという事です。
それほどまでに、輝いている期間が中学生としての三年間という事です。

私自身、この地域の中学に入学して、柔道に明け暮れる日々を送っていました。
朝の新聞配達と部活の柔道だけで、勉強まで意識は回らなかったのです。
母からは、普通に大工の棟梁に預かってもらう事を言われていましたから、勉強は手抜きそのものです。
それでも、中学三年になると、他の柔道部の仲間が特待生で私立の高校へ行くのですが、私の場合は、まったく声が掛からなかったのです。

それなりの悔しさが滲んできて、ゼロからの勉強を夏休みから初めたのです。
若さには、あらゆる可能性があると思えたのがこの時期でした。
試験が解けるようになるのですから、びっくりです。
成績も全科目で百点でしたが、一科目が百点に近づく勢いでした。

 さて、私自身、この時期に、この体を最大限に活用して、何かにチャレンジするという事の醍醐味を知ったのです。
何かを成し遂げるには、この生命がある時以外にはないという事でしょう。
このような私の体験は、何にも代えることができない宝のようでした。
それだけに、自分自身を大切にするという事を自覚するのです。

人間の寿命を見ても、平均八十歳前後という事です。
余りにも短い生涯という事です。
この短い時間でも、良心は、「良いことをせよ」と私に命令を下し続けます。
それ故に、どのように私自身の人生というものを収拾させるか考えてしまします。

死ねば何もできないという事です。
生きている間、この故郷で生きていて良かったという思い出作りという事です。
この地域で生きて、世界を回りながら、極真空手という手段で貢献です。
もうこの歳ですから、どのように人生を収拾するかという事を考えます。

私自身、生きている間、収拾するという覚悟をもって取り組んでいるのです。
収拾するのも、生きている間だけという事です。
もう自分の為に歩んだことは、山ほどあります。
これからは、多くの人の為という事を自覚するという事です。

 ところで、そんな思いで、一人の青年をカウンセリングしています。
彼は、仕事を続けて、寒暖の差があって、風邪を拗らしていました。
二年の間、面接を繰り返して、自分の課題を捉えて対応しているようです。
今日話した内容は、未成年から成人して知らない間にどこかに向かって進んでいると話すのです。
時間も、例え休んでいる時間を自分が持っていても間違いなく進んでいると話すのです。

とにかく、一生生きて、人はどこかに行くという事は間違いないのという事です。
ですから、できるだけ社会の為になるように良い環境に引き付けられるべきであるのです。
ただ生活をするという事になると、エゴが出て、間違った事も起こしかねません。
ですから、良い人生を送るための環境を社会人として作っていくべきという事です。

間違いなく、人の体は土に埋められて終わるかもしれないのです。
それでも、一生懸命歩んだ足跡は、子孫に伝えられていくはずだという事です。
それだけに、傾く心を自制して、課題を解決しようと戦うべきと話したのでした。

 また彼は、五月には中古車を購入するという事でした。
友達から譲ってもらう百万をちょっと超えたぐらいの値段だそうです。
アドバイスで、しっかりローンを組んで、相手に迷惑かけないように話します。
社会人として、いい加減な事をするのではないとお説教です。

私的欲求から課題は大きく膨らむという話をしました。
車は、良きことにも悪しきことにも使えると話すのです。
特に、助手席に女性を乗せて私物化することのないようにという事です。
本人の課題は、男女間の関係に課題を抱えているという事だからでした。

自分の家庭を大切にして、男女の間が自分の家庭を作っていく事にもなると話すのです。
若い男女が仲睦ましくできて、それを継続すれば、いい家庭が作れると話すわけです。
一度しかない青春時代を、楽しく続けるための人を大切にすべきという事を話すのです。
それも、六十歳過ぎている私だとしても、夫婦で仲睦ましいのだという事です。

生涯仲良く生きるという事が、男女と宿命という事だと説教です。
彼は話をよく聞いているようでした。

このような、青年の為のカウンセリングは、私の人生の収拾にとって大切であると思っているのです。