2018年4月9日(八段語録3254)
春の交通安全期間と小学校の入学式


 私にとって、極真空手を自己管理の為に継続してきたのは、良かったのです。
偶然に、私が入門した極真空手が、世間の注目を集め、時代に影響を与えてしまったという事です。
それも、総本部時代から遡って、コツコツと積み上げることができた人生となったのでした。
動機は、何も知らないで大山総裁の講演を聞いて、自己管理という事で継続した武道でした。

私の場合、道場での修行時代でも全日本の選手時代であっても、決して脚光を浴びてきたわけではないのです。
私の親友の田原敬三氏の方は、ウイリーウイリアムを世界大会で破るなどして派手なデビューでした。
もちろん、広島大会では、彼が一位で私がそれに続くという控えめな立場でした。
色々な事があって、彼は他流派に流れ、私は極真に残って同じ時代を越えてきました。

それで、何を言いたいかという事なのですが、最後まで同じ道を貫くという事の選択を私はしたという事を強調しているわけです。
極真会館を出ていく内容と勇気がなかったと言えばそれまでですが、逆に言えば貫いたという事にもなります。
私が広島に定住して、いたならば、田原敬三氏と共に行動を移していたに違いないのです。
ところが、転勤という事で、広島から再び総本部に移動するようになったのです。

それから、仕事の都合で関西本部に移籍して、選手兼指導員として籍を置いたのでした。
東京で四年、関西で四年の年月は、人格の充実期という事でしょう。
個人としての選手から道場運営まで、一挙にノウハウを身に着けたという事でした。
そして、故郷に帰って、手塚グループとして地域に根を張ったという事です。

 さて、今日は、小学校の入学式に来賓として招かれています。
地域で「社明」の活動をしてからですから、来賓として十数年の間、通っているわけです。
それも、春の交通安全期間は、街頭に立って、交通指導に当たります。
世界に伸び行く極真会館手塚グループですが、地元故郷から絶えず出発という事です。

会長としての私も、全国の本部長も地域密着になっているのです。
かつて、極真会館は、地元密着というよりも、エイリアンのような存在でした。
ただ強く、そして大会というイベントで優勝するという目標だったのです。
それも、マスメデアが大々的に宣伝するという事だったのです。

若い組織であった極真会館も五十年以上も過ぎると成熟してきたのでしょう。
私自身もしっかり市民権を得て、地域に根差した運営に切り替わってきているのです。
家族が中心ですが、その家族が地域と連帯しているだけでなく、世界を抱えているのです。
理想的な人生の生き方に、いつの間にか導かれているという事なのです。

そんな背景での入学式への来賓としての参加なのです。
地域の名士になって、さらに世界を駆け巡るという事です。
このような人生が用意されているとは思ってもみませんでした。
地域に対しては私が開拓し、日本と世界に関しては手塚会長と一緒に開拓したのでした。

 ところで、社会の乱れを何とかしようとして、覚せい剤防止指導員等の活動をしているのです。
覚せい剤の乱用も、性の乱れも様々繰り広げられている昨今であります。
このような状態で多くの若者が、自ら埋葬するような墓場になっています。
個人主義の行きつくところなのでしょう。

好きなようにさすらいながら、最後は行くところが無くて自殺してしまうようです。
極度の個人主義、度を越えた私生活の追及が悲惨な結果をもたらすという事です。
しかし、私の知る限り、極度の個人主義や呆れるほどの私生活の保障を願っているかというならば、人の心は許さないと思えるのです。
良心に火が付けば、誰もが個人主義では葛藤を感じるようになり、これではいけないと思うはずです。

心地よい世界と住みにくい世界は、どこで別れるかというならば、空中という事ではなさそうです。
あくまでも、自分の行動で別れるという事です。
そのような、自分の行動で良い世界を作っていく事ができる人材をコツコツと極真空手で作っていこうとするのです。
途方のない道のりかも知れませんが、一歩からです。

今日は小学校の入学式に参加です。
しっかり子供達に愛情を注ぐぞという決意で臨んでいくつもりです。