2018年3月30日(八段語録3244)
救急車の要請


 下宿の住人から妻に電話がありました。
身体の調子が悪いという事でした。
妻の千順さんは、二日前に下宿からアパートへの移転の件で話していたのです。
その時に、顔色が悪かったという事と、息苦しいという事を聞いていたのでした。

電話を取った妻は、下宿の住人に、救急車の要請をするように指示したのです。
妻の機転が的確だったのです。
心臓専門のオープン病院に運ばれました。
すぐに、検査の結果、集中治療室で対応するという事になりました。

貧血がひどい状態になっていたので、輸血が緊急に行われました。
心臓の方も詳しい診断結果はこれからですが、かなり弱っているという事でした。
結局、一か月の入院を余儀なくされたのでした。
病院に運ばれるのが一日遅かったならば、生命が無かったとの医者の診断でした。

妻と私は急病のような状態に対応できたという事で胸を撫でおろしたという事です。
下宿が六月いっぱいで終わろうとするときに、死人が出るようではという事です。
妻は、下宿人の異常事態にも的確に対応したという事でした。
名実ともに、下宿のおばさんの仕事を、責任を持って果たしたという事でした。

 この下宿人は、大学を卒業して仙台の会社に入社してすぐに下宿に入居したのです。
二十二歳の時から六十八歳になる今までですから、四十四年になるのです。
結婚するチャンスもあったのですが、失恋という事でした。
森下宿の一番古い住人であり、家族同然なのです。
その家族同然の住人の生命を、妻の機転で取り留めたという事です。
下宿のおばさんである妻の思いやりが、人を助けたという事になりました。

森下宿も六月で終わろうとしていますが、もう住人は高齢なのです。
風呂とトイレが共同という構造では、時代のニーズには応えられないようです。
私の母が下宿を始めたころは、下宿が全盛期でした。
社会人、・学生と部屋は満室で空くことが無かったのです。

それが、高齢者の人が入るような老人ホームのようになっているのです。
老人ホームのように設備が完備されていれば良いのですが、そうではないのです。
もし、このまま下宿を続けていくとしても、建物の老朽化が進んでいくのです。
また、妻の年齢も六十四歳ですから、高齢者の仲間入りですから難しいのです。

下宿の最後の時に、大きな問題が起きないようにと祈るばかりです。
また、下宿の有終の美を飾れるように気を抜かないで行こうという事です。
五十年の下宿業に幕を下ろす時が来ました。
時代の流れを感じてしまいます。

 ところで、このような緊急を要する件を通じて、生命の尊さを感じるのです。
私も、いつ生命を奪われるかもしれないという事です。
そんなことを覚悟しなくても死は間違いなくやってきます。
それだけに、日々目的をもってしっかり生きたいものです。

目的も、私を超越したものでなければ、飛躍することはできないという事でしょう。
間違いなく死が待ち受けているのです。
それだけに、死んでも超越的な過程で人生を過ごしたという実感は欲しいものです。
どうせ百年も満たない程度で死んでいくのです。

百年生きたことが、千年残る業績を上げるようにしたいものです。
そんな人生の測定方法を実践してみたいものです。
今回の妻の千順さんの対応は、下宿人の為に全力を尽くしたという事です。
おそらく、その下宿の住人に一生感謝されることになると思います。

誰かの為になるような行いは、人生を価値あるものにすると思うのです。
別に多くの人の生き方を、奉仕の精神で生きなさいという事は言わないのです。
自分の置かれている立場で、一生懸命にすれば、人に役立つというものです。
別に、道場生に奉仕活動をしなさいと強要はしないのです。

人生を歩むうえで、着るものに固執して脱がない人がいるとします。
ところが、春から夏がそして秋が来ると、自然に脱がさなくてもその服を脱ぐものです。
誰かに命令するような事でもなく、自然に人生を過ごせば、人の役立つことをするようになるというものです。

話は脱線しましたが、妻が下宿人を大切にしたことが、下宿人の生命を救ったのです。
人には必ずステージが準備されています。
そのステージで一生懸命に頑張れば、自然と人の為になっているという事です。