2018年3月29日(八段語録3243)
新規に、打ち合わせに、子供達との会話に大忙し


 昨日は、座学で一時間の間、道場の理念を現実に対応できるように指導でした。
今日も北仙台で新規来場者に対しての道場紹介をしていたのです。
すぐに、本部に帰って事務局で練っている組織表に目を通して説明を受けたのです。
そして、市議の先生の事務所で、現状の確認をしたのでした。

さらに、家に帰ってからは、子供達の課題特に息子が抱えている事を聞いていたのです。
もう二十代後半ですから、それなりに思っていることを話してくるのです。
特に長男は、私絡みでの課題を列挙しながら、色々な質問で表現してきます。
私は、上から目線というよりは、息子の話を聞きながら、成長している姿に目を細めているというところでした。

我が子も、19歳で結婚して、アメリカから嫁を貰って、息子二人を持つしっかりとした親なのです。
四月から空手家としての歩みをしようとしているので、緊張が高まっているのでしょう。
いつもなら、息子は私達夫婦の居間には来ないのですが、今日は積極的に話すのです。
極真会館宮城県本部に責任を持っていくという事の姿勢が強く滲んでいるのです。

結局、娘も含めて、息子との会話が二時間以上も続きました。
それも、観念的な話ではく、実務が中心なので、頼もしさも一塩というところでした。
私は、子育てをしてきて、強制して道を示したことは無いのです。
それでも、後継ぎとしての課題を明確にして、前進していこうとするのですから嬉しいものです。

 さて、年齢を重ねて、いつの間にか、個人から世界を股にかけようとは思わなかったのです。
それが、個人的戦いから、家庭生活をして、さらに日本と世界に意識をするのです。
それはどのような事かというならば、個人がしっかりすることが家族に反映されるという事になっていると感じるのです。
家族がしっかりするとなると、極真会館手塚グループが盤石になってきたという事なのです。

全ては、関連付けられた、個人であれ、家族であれ、どの分野でも疎かにできないのです。
それで、家族を大切にするとなると個人を犠牲にするようになるのです。
これは、当たり前の話なのですが、好きな事ができないという事にもなります。
否が応でも、家族が優先されて、自分が後回しになるというものです。

それが、できないとなると、間違いなく、家族は滅茶苦茶になってしまうのです。
私も苦い経験があるのです。
とにかく、妻からの連絡が絶えない時期がありました。
何度も電話が掛かってくるので、無視して電話に出なくなったのです。

結果、夫婦の心は冷えてしまったのです。
全く南極と北極で、お互いに心は凍り付いたという事でした。
しっかり、冷え切ったことで、反省は私がするわけです。
それだけに、すぐに電話に出るという事を意識して夫婦円満という事になったのでした。

 そんなことで、私としては、好きな事で生きているようですが、家族の為に何かをしているのです。
また、誰かのために、誰にも認められなくても取り組んでいるのです。
形になるまでは、誰も見向きもしないのです。
それが、表舞台に出るようになると、尊敬を受けるようになっているのです。

それだけに、人生を謙虚に生きるべきという結論が導き出されるのです。
その謙虚な姿を、最初は馬鹿にする人もいるのです。
それが、頭角を現してくると「よくがんばっている」という評価をしていれるのです。
もっと、評価が高まると、尊敬して下さるようになるのです。

そんなことを、避難民のように仙台に帰ってきて味わったのです。
今は、このグループの責任を持って、地域に貢献していますので誰も批判もしないのです。
それだけに、個人として自分を律していくという事に全力を傾けるのです。
息子と、二時間以上も話し合いを持ったのも、大人同士の会話になったということです。
有難さを骨身に染みさせて、一日を終えることができました。