2018年3月22日(八段語録3236)
寒さ再び
真冬に逆戻りです。
窓の外は雪が降っています。
身体が付いていけなくなっています。
なるべく、出かけないようにと思っていても、雑用はあるものです。
母をスペルマン病院に連れて糖尿病での血液検査と尿検査、血圧測定と体重測定と回ります。
八十八歳になる母を病院の中を連れて、病院スタッフからは、孝行息子のように見えるようです。
親に迷惑ばかりかけてきたので、言われるたびに弁解気味になってしまいます。
それだけ、親孝行者になれなければ、罰が当たるというものと心得ているのです。
それから、広島の師範の娘を仙台空港まで見送りです。
二十日間に及んだ研修も無事に終了して晴れやかでした。
もっと仙台に居たいと言ってくれたのが何よりです。
若き日の一日は、貴重であり、密度が濃いという事でしょう。
午後の便でしたので、それまで一緒に空港で会話を楽しみました。
五十歳近く年齢が離れていますから、世代のギャップを感じます。
それでも、誤魔化しながら、お爺さんのように対話を続けたのです。
楽しかった思い出を語ってくれたので、救われる思いでした。
さて、今日はそのまま根白石の事務所にきて、疲れを取っています。
人の御世話を長い期間するという事は、それなりに心を使うものです。
この仙台で極真空手の理想を発見できたかというかというところです。
その理想の一端になれればという事ですが、果たしてどうだったのでしょう。
道場の業務を行うのと、人を教育するのとは、能力の違いがあるようです。
現場の責任者は、忙しいので関わりたくないような表現でした。
実務に支障が出るという事で、邪魔になる感覚なのでしょう。
それも、実直に受け止めて、研修の受け入れ態勢をどうするか考えるのです。
全ては、経験ですから、試行錯誤は続くのです。
私の基本的発想は、人を育てるという事に重きを置いているので業務が疎かになっても構わないという事です。
気持ちと時間を投入した分は、後から回ってくるという発想をするのです。
そうして、今まで組織を作ってきましたので、それは変わらないのです。
その事を、現場の責任者が理解するまでは、時間がかかるというものです。
急げば回れという事を実際に行ってみると、大きな理想が果たせるようなものです。
そのような事を言えるのも、忍耐し続けてきたからという事になるのです。
結果はすぐに出したいのですが、じっくり構えるという事も行ってきたのでした。
ところで、実務と教育は同時に行うものという発想はしているのです。
何としても現場と教育が直角に交わらなければならないという事です。
どちらも疎かにすることはできないのです。
そうすることが、理想を中心として和合する位置になるというものです。
前後、左右、上下どこにも合わせても合うように業務と教育は一緒という事です。
業務が疎かになれば、実務が進まないし、教育が疎かになれば、今後に続かないのです。
そのような事を発想しながら、自分自身対策を練りながら部屋をウロウロしていました。
これから、仙台での研修は多くなると思うです。
そして、教育を受けて、全国に散らばって大きく実を結んでもらいたいという事です。