2018年3月19日(八段語録3233)
本格的トレーニング開始


 三月に入って、季節の変わり目のようで現状維持の状態が続きました。
日常生活には支障がないのですが、トレーニングに対しては敬遠気味でした。
今までの私の姿勢でしたら、限界まで挑戦し続けて寝込むという事でした。
やっと体調管理という事に気が付いたので、限界状態の手前で止めるのです。
このような発想ができるのは、やわな姿勢になったからという事でもあるのです。

それでも、三月初めから二週間は体調が戻らない状態でした。
やっと昨日から解禁という事で、突きや蹴りの反復練習を始めたのです。
肉体がなまっていたので、今日は昨日の疲れが残っているようでした。
それでも、筋肉痛ぐらいで、内蔵機能は順調のようで、今日もチャレンジをしていました。

ジムを使ってのトレーニングに特化していることもあって、ジムとの相性があります。
特に、トレーニング場を始めプールでも極真空手の動きで稽古をするので敬遠されます。
仙台に帰ってきてからも、ジムを五つ渡り歩いてしまいました。
それは苦情が来るからという事です。

まじめな顔で、汗まみれになってウエイトやプールを使って行うので異常人のようです。
一人浮いているという事で、会員の人にはいい顔をされないようでした。
結局、退会せざるを得なくなって、ジムの変遷という事になったのです。
それで、今はダンロップジムで理解ある運営者との協力を頂いているという事です。

 さて、今でも稽古を続けている理由は、責任を果たすという気持ちからです。
名実ともに大黒柱という事で、しっかり極真の伝統を維持しなければという使命感です。
トップがしっかり稽古していかなければ、道場生は納得しないという思いからです。
現役の時は、前に出て見本を見せながら道場生を指導していたという経緯があるのです。

今は、指導員が前面に道場生を指導しているのですから邪魔はしないのです。
それだからといって、もし何かあったときには、いつでも代わることができる意識です。
中心の立場に立っても、最前線は決して忘れてはならないという信念なのです。
それが、全体に責任を持つという私の姿勢になっているのです。

一緒になって、平面で直接指導することが少なくなっているので自分に厳しいのです。
今は、三百六十度の観点で見なければならない立場なので、立体的指導なのです。
単純に道場生と共に稽古をするという次元では、グループの運営に支障が出るのです。
あらゆる責任が覆いかぶさってきているという現状があるのです。

狭い範囲からの指導では、納得できない責任者が増えるというものです。
それを除去するために、現場だけの指導だけでは不十分になっているのです。
できるだけ、現場との軋轢は避けるようにしているのです。
そうでなければ、纏まった家族を作っていくことができないのです。

 ところで、稽古を通じて心身共に、鍛えるという事ができるというものです。
そうすることによって、現場の意見を優先させながら、軋轢少なく引っ張っていくのです。
そのような事で、食事をしていても食べられずに、自分の投入場所を確保するのです。
問題が生じた場合には、必ず分水嶺というか、境界線があるのです。

それを逞しく超えていくためにも、稽古が必要になってくるのです。
問題がある度に、稽古をしていることがどれほど重要であるかを認識するのです。
結局、組織防衛は、私自身に対する自己への厳しい接し方という事になります。
そんなことを、稽古をしながら考えているのですから、本人はまじめという事でしょう。

この手塚グループを守っていくためには、私の自分に対する厳しい目が必要なのです。
その厳しさを、道場生に対する優しさに転換するという作業になってくるのです。
そのような厳しさを自分に課せなければ、このグループを防備できないのです。
そのような気持ちで、責任を持たなければ道場生が段位を取れるかというのです。

どこに、その段位の目標を持っていくかという事です。
私自身が戦えば、自由に道場生が向上することができるというものです。
そのような自由な道場を築いていくために、日々のトレーニングがあるのです。
それもこれも、道場生に大いなる目標をもって、人生を切り開いてもらいたいからです。

それだけに、極真空手のパワーはもとより、社会貢献と学問に対する飽くなき姿勢を見せていくのです。
師を乗り越えていく快感を道場生には持ってもらいたいという事です。
そのハードルになるために、日々努力です。
道場生が道を間違えるかもしれないのです。

その為の灯台になる覚悟でのトレーニングという事です。
そのような大それたことを胸に抱いているのです。
そうすれば、間違いなく私以上の人材が輩出されるはずです。
かつての北大のクラークになれるならば、幸いという事です。