2018年3月17日(八段語録3231)
新道場生を迎える広い器


 小中学校の卒業式の行事が今週で終わりです。
中学校は同窓会の入会式だけに参加で、卒業式には極真フェステバルで参加できませんでした。
少し心残りはありましたが、頑張った中学生を祝いたい気持ちでした。
一つの区切りを全うして、次のステップに進むという事になります。

間髪を入れずに、4月には入学式が待っています。
地域で子供達の成長を見守っていくという事になります。
私の場合、登下校の見守り、夏休みの非行防止の講演準備と忙しくなります。
それだけでなく、消防での防火演習活動、少年警察指導委員で子供達に関わっていきます。

それはもとより、社会奉仕活動を積極的に推し進めてきた実績という事です。
国と地方自治の行政に関わって、その立場を頂き、立場ゆえに活動もスムーズです。
もし、立場が無ければ、ただのおじさんという事で、活動に支障が生じます。
ポジションを取得して、故郷で、目指したボランティア活動の一環になったのです。

 さて、そのようなボランティア活動をしても、道場生の新規獲得は欠かせないのです。
チラシの配布に関しては、少しずつ後輩に移行しつつあります。
それも、真剣に取り組むという事で、息子の聖義が責任を持って取り組むことになります。
私はというならば、親を伴って来場する新規対象者に対する面談を積極に押し進めます。

今日も錦が丘教室で愛子地区の人の両親を伴っての新規来場がありました。
グループ全体に責任を持つ指導者が直接面談をするという事で、信頼もアップするのです。
もちろん、私自身の内容も問われますので、自己研鑽は欠かせないのです。
そのようなことで、愛情をもって対応するという姿勢は崩さないのです。

極真空手の中心に位置しているので、伝統を正しく伝えるために必至になります。
もう手塚会長は、あの世に旅立たれているわけですから、今は私の心が先生という事です。
多くの人に助言を頂いたり、御指摘を受けたりという事で、自分の心を磨きます。
間違いなく、自分の心に誰もが入ることができるように開放するのです。

それだけでなく、絶えず心の声を聞くという謙虚な気持ちを抱くのです。
その境地に至るまでの戦いをするという修行の道を究めようするわけです。
お釈迦様は、「天上天下唯我独尊」という言葉を残してくれているのです。
それはまさしく、私が私に尋ねれば、崇高な私として目指そうとするという事でしょう。

 ところで、今回十数年続いているゴルフ愛好会の会長を仰せつかりました。
ちょうど良い具わいに、財団法人の青少年交流振興協会がゴルフに特化しているのです。
もともと、空手とゴルフの二つの活動を行ってきましたが、今はゴルフなのです。
というのも、理事長が名高いプロのゴルファーで、十勝以上しているのです。

私も長いものに巻かれていて、ゴルフという事に協力してきたのです。
それが、仙台で立ち上がっているゴルフ愛好会の会長ですから、財団として取り組めるのです。
その財団で、十年以上にわたって理事を務めているのです。
会長になるということで、財団の活動に積極的に協力できるというものです。

これで、理事長と対立することなく、円満に運営ができるというものです。
会計も財団というレベルでの収支になるのです。
今まで、財団で活動してきたことが、無駄にはならず、繋がったという事です。
理事長と喧嘩することなく、円満に財団を運営することができるというものです。

 財団を極真空手と結び付けて考えてきたことによって対立しそうでした。
それが、仙台でのゴルフ愛好会の会長になるという事で、財団主催になるのです。
そこにプロゴルファの理事長と調和するならば、最高の関係になるというものです。
それによって、今までの財団での活動が無駄になることなく、前進できるのです。

 このような財団の理事という立場も、こうして役立つのだという事です。
そのような意味では、人生において無駄な事は一つもないという事の実感です。
手塚グループと共に、新たなる分野の開拓という事になります。
どちらもお金にはなりませんが、多くの人に役立つという事です。

それだけに、よこしまな心を持たないように努力するという事にします。
自分の心を意識して清めなければならないでしょう。
理由は、心が自分の先生であるからという事にしているのです。
心を、年齢が行けば行くほど、先生にしなければならない境地という事です。

心掛けなければならないのは、心を悲しませてはいけないという事です。
そう考えると、心が喜ぶ道を進んでいるという事でしょう。
妻に言わせれば、好きな事だけをしているという事になってしまいます。
それでも、心を楽しむ時間を大切にして、道楽していこ言うとするのです。