2018年3月13日(八段語録3227)
私の所有


 老人ホームに社会参加活動に行ってきました。
午後1時半から5時まで高齢の入居者と一緒にゲームと階段の掃除をしたのです。
保護観察官が一人、保護司が二人、そして保護観察対象者が一人という構成で行いました。
対象者は十八歳の少女で、どのような犯罪なのか私は聞かなかったのです。

今回の老人ホームの奉仕活動は、二回目になります。
前回は、暑い季節に庭の草取りをしました。
その時の対象者は男子でした。
その時もボランティア活動する中で、何気ない会話を楽しみながら、心の交流をしたのです。

この施設は、九十歳になる老人が目立つのです。
もちろん、会話ができますから様々な話をするのです。
この年齢の私でさえ、御老人からすると孫のような扱いになります。
そのような不思議な関係でトランプゲームを楽しく遊んだのです。

一時間程楽しんで、階段の掃除に入りました。
掃き掃除と拭き掃除を全員で手分けして三階から一挙に降りて綺麗にしたのです。
その後、四時半から反省会をして、お互いの感じたことを話し合いました。
楽しいボランティア活動で一日を過ごしたのです。

 さて、私は極真空手で修行をして、自分を戒める期間を三十四歳まで持ちました。
その後、妻との夫婦生活を通じて、三人の子供に恵まれました。
「生めよ、ふえよ、地に満てよ」の言葉の通り、妻と楽しく生き、息子・娘を生んだのです。
この家族が最大の財産であり、私の所有という事だと思っているのです。

それで、妻と共に愛を語らい、子供達を育てたことは、忘れることのできない思い出です。
それが、自分の財産であり、思い出そのものが所有なのです。
家族を持ったということで、一人前の人として成長することができました。
様々な愛情の形態に対応することができ、人の喜怒哀楽に対しても同調できたのです。

そのような修行と家族を持てたという事をベースに始まったのが愛情の拡散なのです。
一番初めに取り組んで対応したのが、道場生に対する極真空手の指導でした。
仙台から全国・全世界へと愛情の広がりを持ったのです。
空手という手段を通じて、家族の拡大に乗り出したという事になるのです。

それだけでなく、地獄までも愛情で満たさなければという事なのでしょう。
法務大臣から保護司を委嘱されて、もう十八年の歳月になるのです。
刑務所、少年院、鑑別所という更生施設からの立ち直りの手助けをしてきたのです。
十八年になりますから、対象者は百人を超える人に全身全霊の愛情を注いだのでした。

 それだけに留まらず、消防団活動で安心安全の街づくりを推し進めてきたのです。
地域に対する貢献を数多く実践してきました。
社明活動、少年補導員活動、社会福祉協議会活動、交通指導隊活動等です。
積極果敢に地域の街づくり推進協議会でも責任を持って活動するのです。

私の愛情の懐に、道場生、犯罪者、地域も全て抱ける立場を取得したのです。
それだけに、できるだけ人に信頼を得るような生き方をしようと心に留めているのです。
世界に色々な人がいて、何千人、何万人に囲まれる生き方をしてきたのです。
それが、私の最大の財産であり、所有であるという「勘違い」を続けているのです。

誰も価値ある事と思わないでしょうが、私の家族で培った愛情を太陽の光のように発散しているのです。
今のところ、要請と願いが引手数多であって、この財産の争奪戦に参加する人は少ないのです。
私としては、領土のような版図が広がって、大金持ちになった気分なのです。
愛情の心を植え付けてくれるような人であると、思われているのですから有難いことです。

愛情を投入する所が、家族から始まって世界に届いているという事ですから嬉しいのです。
この戦略は、ブルーオーシャンとして、まったく競争相手がいないのです。
愛情を投入した分だけ金持ちのように、多くの所有権を持つという発想をしているのです。
それも、私の家族がベースになっているのですから、たまらなく嬉しいという発想なのです。

 結論として、その為に汗と涙を流す人生を送っているのですから、幸せな生き方です。
金銭面に関しては、「持って行け、泥棒」の感覚ですから、あんまり重要視していないのです。
確かに子供は夫婦として三人しか生むことができませんでした。
それでも、私が嫌われずに、多くの愛情の対象者を持てたという事に、ミラクルを感じているのです。
このような生き方は、私が誇りを持てる地上最強の生き方であると勝手に思っているわけです。