2018年3月12日(八段語録3226)
一段落
極真フェステバルも昨日無事に終えることができました。
怪我する道場生もなく、一人一人が二日間にわたって健闘したのです。
この道場生の中で、社会に大きく貢献できる人材が育つという確信だけはあるのです。
単純ですが、人としての道を説く極真会館手塚グループなのです。
極真会館手塚グループの物語が、これからも続くという事でしょう。
どのようにこれからも継続させていくかという事は、理想だけの空想なのです。
ただ、1991年9月18日、ちょうど三十九歳になろうとするときに海外に出たのです。
アラスカでハリバットとキングサーモンそして、シルバーサーモンの釣りに出かけたのです。
大自然の中で悟り、故郷に帰ることを決意し、自分に誇れる道の開拓をするという決意をしたのでした。
このアラスカの大自然が、新たなる人生の原点になったという事なのです。
経済学という分野の学問をして、社会の何たるかの学術的観点を求めたのです。
社会の秩序を理論的に学習して、極真会館手塚グループ師範として決意したのは、十年後の四十八歳でした。
そこから迷うことなく、指導者の道を貫きと続けたという事なのです。
本気で出発したのですから、結果はどのようになろうとも、悔いなしという思いなのです。
実に、原点が三十九歳ですから、一度ダッシュしたならば、止まらないのでしょう。
誰の言う事も耳に入らないというのが実際の私なのかもしれないのです。
さて、現在六十五歳になろうとしているのですが、いまだに原点は三十九歳なのです。
何をどのように説得されようが、我が道を行くという事だけに集中しているのです。
何度も組手をしながら、血が吹き出ることも稀ではなかったのです。
思えば、弟子達にもひどい試練をしたものだと、今さらながら申し訳ない気持ちがあるのです。
多くの人が極真の稽古に付き従ってきては離れるという繰り返しでした。
その中で、今のスタッフがどのような理由であるかは分かりませんが、付いてきています。
弟子たちに、私を助けてくれとは一言も言ったことがないのです。
ただひたすら、極真の伝統となるべき戒律を繰り返し、身をもって指導したのでした。
自分自身が倒れそうになっても、誰にも頼らないのです。
ただ自分に言い聞かせてきたことは、戦える気力があり、気概もあるという事です。
限界まで戦う中で、見るに見かねてサポートの手を差し伸べたのが今のスタッフでしょう。
それだけに、行き倒れになるところを、今の基盤の準備してくれたようにも思うのです。
常に、「今に見ていろ。必ず結果を出す。」という気概だけはあったのです。
そのような意味では、歯を食いしばって結果も出ないのに、雨の日も嵐の日もチラシを配布したのです。
そのようにして、諦めないで戦い続けて今があるという事でしょう。
そして、極真会館手塚グループが目指す道を追及しているという事です。
極真手塚グループの道を開拓して願う事は、誰からも感謝されることです。
感謝されなければ、やっている意味を失ってしまいます。
絶対に世の中で必要な精神態度の育成であると確信しているのです。
今は、このグループが世間から認知されているのです。
それだけに、ますます力を込めて前進するのです。
苦労だけして終わる男として生まれたのではないのです。
指導してきた人材は残るし、もちろんその生き様も残るはずだという確信を持っているのです。
そんな思いで、今日は過ごしました。
まじめな性格は治らないようです。