2018年3月11日(八段語録3225)
大震災七年「極真フェステバル」


 あの忌まわしい東日本大震災から七年が過ぎようとしています。
開会式で、東日本大震災での多くの犠牲者に黙祷を捧げました。
思えば、七年前に震災ですべての施設は使えることができなくなりました。
それでも、その年の十月二日に極真フェステバルを、全生命かけて道場生と共に一致団結して開催したのでした。

事務局の笹さんと話す中で、走馬灯のように思い出されてきました。
このような逆境に負けてはならないという、強い気持ちが当時に働いたのです。
それでも、試練が矢継ぎ早に降りかかってきました。
九月二十一日には私の親父が震災で体を冷やして、そのまま肺炎を拗らし亡くなったのです。

それでも、道場生の士気を衰えさせてはいけないという気持ちも込めて行ったのです。
極真フェステバルは、この年三月五日の震災前に県武道館で行ったのです。
震災が起きて、悲惨な現状を目の当たりにして奮い立ったのでした。
もちろん、石巻の道場は津波も影響で閉鎖を余儀なくされたのです。

そのような震災当時の思いを顧みながら、今回の極真フェステバルに臨んだのです。
七年間、なりふり構わず、日々投入してきたのです。
アルツハイマー型の脳を持っている私としては、過去は都合の良いことしか覚えていないのです。
それでも、その当時のブログを眺めると全てが蘇ってくるのです。

 さて、何故極真フェステバルをその年に二回も行ったかという事です。
「私達の頑張ってきた今までの風呂敷包みを開いて、全て表現する」という事なのだったのでしょう。
特に、開拓者という事を忘れることなく、どんな苦境にも立ち向かおうとしたのでした。
いかなる震災が襲ってきても、決して負けないという姿勢だけは見せようとしたのです。

その当時は、震災で大会をほとんどの団体は取りやめにしていました。
震災復興の旗を立てる団体が無いのならば、自分たちが先頭を切ろうとしたのです。
「試練よ来い、風が吹こうとも、津波で破壊されても男の道は塞げない」という気持ちでした。
この被災地に希望を与えるために、前進する姿勢を見せようと必死だったのです。

究極、被災した道場生に勇気を与えようともがいたという事なのです。
マスコミを動員して放映するという事ではなく、参加した道場生へのメッセージでした。
被災者の為、ましてこれから未来を背負う道場生の為という強い信念だったのです。
もちろん、消防団で必死に復興のために働いたのは、言うまでもないのです。

確かに、プロ野球で楽天の選手が被災地を慰問して勇気を与えたという事もありました。
そして、彼らは、優勝して被災地の希望になったのです。
私達は、極真会館で空手道場ですから、道場生に勇気を与えるという事に必至だったのです。
そのような戦いを、この七年目の慰霊祭の時に思い出されてならなかったのです。

 ところで、当時から七年過ぎて、極真会館宮城県本部は、急成長したのです。
当時とは比べることができないほど、震災を超えた団体として顕現したのです。
それは、当時の写真と比べると一目瞭然なのです。
写真を眺めても、残された映画を見るように、戦いで勝利の渦が巻いているのです。

戦いの渦の悲喜劇が交差したのであり、素晴らしい憧憬が広がったのです。
震災の真っただ中からでも、ジャンプすることができ世界に超えていける基地になったのです。
この試練を越えて、確かに手塚会長の意思を受け継いで、世界に跳躍しているのです。
世界中の多くの若者に希望を与え続けてきた「被災者」の私であることに間違いないのです。

実際に手塚会長の意思を受け継いで、世界の多くの若者に希望を与えているのです。
世界に対する夢を描ける源泉、泉が震災の試練を超えた所にあったのです。
当時は、大変な試練としか受け止めることができませんでしたが、爆発する希望になったのです。
震災当時の希望溢れる決意が無かったならば、世界を巻き込むことができなかったのです。

この震災の試練が、決して忘れることができない思い出になるので、その心は忘れないのです。
人が試練を受けた時に、「どのような姿勢であるべきか」を表現したことになるのです。
例え、私が死んだとしても、後世に延べ伝えられるべき内容であると思ったのです。
その事実を、ブログは、克明に表現してきているという事なのです。

 結論として、震災は、私達を強くしました。
震災は、確かに大いなる試練でした。
それでも、この試練を越えた先には、大いなる希望があったという事を実証しているのです。
七年を過ぎて、艱難辛苦に負けることなく、戦ってきたのですから、天は耐えられない試練は与えないという事だと確信できたのです。

今あらゆる戦いをしてきという事の感想を聞かれたならば、実に楽しかったという事です。
未来の理想に備えるだけの十分な訓練が、この震災が必要要件であったと断言もできるのです。
襲った津波も地震も、今となれば足腰を強くしてくれたという思いなのです。
あれもこれも、震災に関しては、夜が過ぎてみれば朝が来たという事でしょう。

確かに一時期は、希望のない暗闇に思えたものです。
それでも、希望のない時期は過ぎ去り、新しい時代を迎えることができているという事です。
震災の日に、このような気持ちが沸々と湧き上がってきたのです。
勿論、これからが本番という事です。