2018年3月6日(八段語録3220)
すべてに寛容な姿勢


 このグループの良いところは、創造性豊かに各県本部が家族を築き上げられることです。
というのも、現場は、個性も違えば、人種はもとより国も違うのです
まして、世界各国において、極真ファミリーを作っていくという目標を持っているのです。
形式や権威に則っているのではなく、良い家族を作っていくという極真グループなのです。

グループの中で、「辞める」とか「総合格闘技」の道を行くというメンバーもいました。
そのような道場生に対しても暖かな眼差しで見つめていた手塚会長の姿がありました。
特に離れていった道場生に対しても、戻ってくるという信念で対応していたのです。
ただ一人だけ、手塚会長が除名した人がいましたが、道場を立ち上げてからその人だけでした。

どのような道を歩もうが、心から応援していくという姿勢は崩さなかったのです。
道場生に対しては、自由に、また平安に、いつでも心を開いての指導をしたのです。
そして、家族であるからという気持ちで、親の立場に立ち続けて下さったのです。
色々な問題があっても、愛情から出発して、懐に入れて育てるという発想でした。

この発想は、私達が受け継ぐべき精神であり、諸問題の解決の糸口なのです。
このグループの正統と表現している団体に対しても、寛容なのです。
このグループを継承するという事は、家族の愛情の実を結実させるためなのです。
それが、極真空手という手段を用いてという、手塚会長の意志であり方法手段であるだけなのです。

 さて、手塚会長の口癖は、「楽しくなければやる意味がない」という事でした。
その心は、「愛情で出発して、愛情で完熟する」という夢を持っていたのです。
それだけに、夢や希望がない言動に対しては、ほとんど反応しないのでした。
それだけに、このグループの目的は「道場で愛情にあふれる環境を作る」という事なのです。

その環境を作るために、自分自身を磨くという事を最優先して稽古するのです。
自分自身を磨くという事に関して、私は厳しく自己を見つめてきたのです。
酒もたばこも飲まないのです。
それは、自分自身の性格を良く認識していたからに他ならないのです。

それだけに、離れていく人たちに対しては、寛容という事なのです。
ただ悲しく涙を流すという事が、私のできることになるという事です。
それだけに、できるだけ結束して、このグループを守りたいという一心なのです。
手塚夫人を代表として、これからどれだけ前進できるかという事に勝負をかけるのです。

勿論、目的をいくら良く立てたとしても、その目的を指導する中心者が愛情を伴わなければ終わってしまいます。
目的が愛情よりも上であるという事はあり得ないことなのです。
そのような意味では、経済的貧しさを問題視するという事にもならないのです。

責任者という立場を与えられて、一年が過ぎました。
私の心と体が膨れ上がって愛情の情熱が燃え上がっているのです。
心の五官と体の五官が合わさり、ますます意気揚々としているのです。
もう時計の振り子のように、一度責任を持ったからには、作動するのです。

 そして、一度動き始めれば、もう止めるにも止まることがない勢いなのです。
もうすでに、遠心力が作用して、燃える心は止まらないのです。
更なる、このグループの発展のために何をしたらよいかという事を頭の中で巡らしているのです。