2018年3月4日(八段語録3219)
肉体の老化と持病を越えて


高齢になればなるほど、身体の節々に痛みが走ります。
腰が痛いとか、坐骨神経痛である等、様々に襲ってきます。
それだけでなく、血圧が高く、血糖値も高めに推移するようになります。
また、腎機能も低下の一途という事で、尿の出の勢いも弱くなってしまっています。

昔は、太く短く生きればそれで満足と思っていました。
若い時には年齢設定を六十歳で十分であると考えていました。
それが、六十五歳を迎えようとしているのですから、発想を変えなければならないのです。
無茶した若き日に戻るまでもなく、酷使した肉体を使い切るという事への反省です。

決して死んでしまえばお終いであるという発想はないのです。
それよりも、どのようにすればよい生涯を送ることができるかと自問自答したものです。
そのような意味では、もっと素晴らしい旅人になろうとしているのです。
志を抱いただけに、歩みを止めずに傾く心と、揺れ動く気持ちを抑えつつ歩んだのです。

そして、「お前はどこに行こうとしているのか」と日々意識を目標に着目をしてきたのです。
実際に、「体の至る所に痛みがあり、心は極真の道を貫き、理念は家族の平安」に向かっているのです。
それだから、息子に私のように人生を歩みなさいという事は言えないのです。
それだけに、開拓者として様々な試練を受けたので、親父をベースにして、この極真ハイウェイに乗って行けというだけです。

 生きていて、何を残してきているかというならば、「生き様」という事でしょう。
それを、できる限り文章にして後世に伝えようとする意識は高いのです。
「生き様」そのものも、まだ続くのであり、心臓が止まるまでが勝負なのです。
そして、極真の八段ですから、この道を極めなさいという発信もするのです。

それだけに、死後どうなるかという事に関しては、理念はありますが意識はないのです。
それだけに、人生を妄想的に仮想空間で遊ぶのではなく、現実として捉えていくのです。
自分が歩んだ人生の足跡を見せて、理想を目指した人生が「こうである」と伝えるのです。
その為の極真会館の段位であり、八段を極めたものとしての遺言なのです。

もちろん、この道を歩んだという私の証であり、強制するものでもないのです。
「この服」一着しかないような示し方はしないのです。
日本には四季があります。
何着も四季によって着替えることができるというものです。

カラフルな人生こそ、私が願う生き方という事も言えるのです。
私の後継をする人物は、私と全く個性の違った人が立つに違いないのです。
その個性は、最大限に尊重されるべきです。
しかし、極真の修行を積んでいくべきであるという意識は変わらないのです。

 ところで、確かに肉体は病に倒れるという事もあるのでしょう。
それだからと言って、希望をもって生きる生き方は否定できないのです。
肉体を酷使してでも、希望の道を選ぶということです。
理想や夢を欽慕しながら、心を砕く人生は何といっても生きがいがあるのです。

それだけに、一瞬一瞬が希望で満ち溢れていて、心臓が止まるまで夢見ているのです。
魚が水なしでは生きられないように、私の人生も現実なくしては生きられないのです。
それも、開拓の道であったのであり、一人で切り開いた道でもありました。
一度出発したならば、決して戻ることができない道であったのです。

ここで言いたいのは、肉体を酷使してでも日々過ごすことができる希望があったという事です。
それだけに、今でも治療に入りながら、いつの間にかまた肉体を酷使している自分になっているのです。
やりたいことは、思い残すことなく全うするという勢いは、高齢になっても廃れないのです。
そのように、魅力ある現実の人生という事なのです。