2018年3月2日(八段語録3217)
法度を守る


 手塚会長からバトンを引き継いで一年余りの時が過ぎようとしています。
特に、各本部において問題があるという報告は聞いていません。
それでも海外では、家族を乱すような行為が目立ったメンバーの脱会という事がありました。
家族という理念にそぐわないのは困ります。
もう一度反省してから戻って欲しいものです。

家族を維持して守るという事は、このグループでは法度に等しいのです。
このグループの特徴は、家族生活の中で極真空手を学ぶという事が前提なのです。
グループの伝統が要求する法度を守り、極真の道を全うするという事です。
その道を、手塚会長が示してきたのであり、私達もその法度に従って修行してきたのです。

家族が悲しみ、グループが喜ばない生き方は認められないのです。
けっして道場生は、悪い人にはなれないのです。
理由は、極真の精神を絶えず追求しているからなのです。
ところが、誘惑に勝てなくて陥ってしまうというのが離れていく理由になるのです。

手塚グループに残るには、誘惑に陥れないで背こうとしても背かないという事です。
家族を崩壊させるような要因には同化しないようにすることなのです。
このグループを離れるという事は、家族を無視して自己中に脱皮するようなものです。
不幸な男女が多くなるのは、家族の愛情が喪失されるところに原因があるのです。

 私は間違いなく、家族という共同体と共にあるという自覚があるのです。
グループの世界の家族の真ん中に座って、世界の道場生の指導をしているのです。
世界の家族の親父のような役割をしているというのが、今の私の立場なのです。
それだから、この理念に不満と不平の妄想があるなら破綻を意味するのです。

それだけに、このグループの法度に従って、しっかり関係を持った運命を抱くべきです。
そこから離脱する生活の法度、生活の形態はあり得ないのです。
このグループは、秩序を守るというところでしか成立しないのです。
手塚グループの理念を主体の立場に立てて、守り抜くというところに道場生の役割があります。

それだけに、見て聞いて、心開いて修練していくことが、家族につながるのです。
道場で稽古したすべてが家族の中に入るという法度なのです。
年齢を重ねて、修行の結果最後に残るものは、間違いなく家族になるという事です。
そうすれば、道場生が道を踏み違えて落ちようとしても絶対落ちることはないのです。

このグループは、そのような法度をしっかり守って、世界的な舞台と生活の舞台を要求するところなのです。
とにかく何度も表現するようですが、このグループで共に修練しなければならないのです。
そうでなければ、一時的瞬間的な繋がりしか関係を持てないのです。
私と共に、極真の稽古をした師範達が、今でもこのグループで活躍しているのです。
それは、一時的瞬間的な修行ではなかったという事です。

 ところで、今日も修練の一つとして、プールでの自主トレを行ってきました。
ゆっくり、平泳ぎで1キロメートルぐらい泳ぐのです。
同じレーンの中で、クロールの女子は入ってきたのです。
追い抜きの禁止のプールで私を追い越すこともできるに、イライラしていたようです。

私自身、トレーニングに入ったならば、わき目もせずに投入していますから、その時は気が付かなかったのです。
その女子に気を使って、別なコースに移ってコースを空けてあげれば、心地よかったのです。
それが、気が付かずに、泳ぎ続けていた私に反省です。
ちょっとした配慮をしていれば、女子にイライラさせずに済んだのだと思ったのでした。

このような配慮も、日ごろから人を気遣えば問題ない事でした。
次のトレーニングの時に、しっかり対応しようと思うでした。
今日も、足らない配慮に対して反省です。
それが、今後の良き態度になるための勉強という事です。

こんな気持ちになるのも、相手の気持ちを感じるからなのでしょう。
思いやりという事も心に芽生えるのです。
家族を通じて訓練を受けたからという事も言えるのです。
人の心をキャッチすることができる能力も大切なのでしょう。

 そのような事気持ちを抱くのも、家族という訓練を受けているからという事という事です。
相手を倒す炉いう事だけが、極真空手ではないのです。
しっかりと、家族を守るという法度を築いていくという事も必要です。
そのような事で、もう一度原点に立って、修練をすることが大切です。