2018年3月1日(八段語録3216)
春の嵐と愛の嵐が吹き抜ける時


 風速30メートル以上の風が吹きつけるのです。まさに嵐です。
空は明るく晴れているのですが、強風が大地を吹き抜けます。
畑に置いていた白い椅子が、飛ばされてどこに行ったかもわかりません。
仙台空港の航空便も、欠航で全く飛んでいないのです。

外に出ていくと、何が飛んでくるか分からないので、部屋で静かにしていました。
家に吹き付ける風の音は、張り裂ける爆音になっています。
電話に出ると、相手は風の騒音の大きさに驚いているのです。
南風と北風の渦巻く中で、黙って嵐がやんでくれるようにと願うばかりでした。

自然は時に静かに、時に荒々しく迫ってくるようです。
そのような自然に、現在の結実点のようにして、出会うわけです。
自然との連結が、刺激的なのです。
実に躍動する自然が、私の気持ちを搔き乱していくようなものです。

今日の激しい嵐を目の当たりにして、私の選手時代の試合の時も嵐の勢いだったのでしょう。
試合に臨む時の状態は静かなもので、一旦始まったら怒涛の攻撃をかけていったものです。
そんな過去も去来させながら、考え事に耽っていました。

 さて、自然との連結と、人との連結は違った世界に至るのです。
かつての道場生として一緒に戦った戦友との絆は強いものがあります。
今日も電話の何本かは、そのメンバーとの交流でした。
お互いに還暦も過ぎているのですが、昔のままの話し方です。

ある友人は、退職してから福島の原発の仕事をして、事業の立ち上げの軍資金を稼いだのです。
そして、お掃除本舗のフランチャイズに仲間入りして、業績を上げ始めていました。
会話は昔のままで、「早く俺に追いつけ」というような後輩を面倒見るような口調です。

また、友人の一人には、妻を亡くして寂しくタクシードライバーをしているのです。
子供も何人かいるのですが、妻を亡くしたショックで地上に未練がないと話します。
寂しさを紛らわすように、昔の一緒に戦った時代に思いを寄せた会話のなるのです。

そんな昔の友との連絡をしながら、お互いに「人生捨てたものではない」と励まし合うのです。
友と話すと、現在より、過去の自分達の姿を描いてしまいます。
それも、楽しい事ですが、夢を追いかけるために立ち上がろうということで話は終わるのです。
素晴らしい、関係を持ってきた友人だけに、これからも大切にしたいという事です。

 ところで、一緒歩んだ夫婦の人生は、今日の嵐のようでした。
波乱万丈というのでしょう。
そのなかで、妻と固い絆を結んできたように思うのです。
その絆は、ますます強くなっていっているのです。

かつて、妻と出会って、触れて抱いて一緒になりたいという思いが募ったのです。
日々を過ごすと、益々その気持ちは強くなるものです。
熟年離婚とか、世間では騒がれていますが、私にとっては自分の体のようです。
妻を失った友人を思い浮かべて、私にも妻に何かあったならば、耐えられないと思うのでした。

こうして、子供達と孫に囲まれていても、安住するような気持にはなれないのです。
今年のスケジュールも始まったばかりです。
三月の一日ですから、卒業式や公立高校の入試発表があります。
小学校や中学校に行って、子供達の成長した姿を見届けなければならないのです。

今年度の最後の月という事もあります。
しっかりと終止符を打つようにしたいものです。
成長した子供達を励ますように目を細めて喜んで上げたいと思っています。
大切なことは、私が小学校や中学校の卒業式に来賓で参加して、この身をもって愛情を注いであげたいという事です。

春の嵐も体で感じたのです。
それだけに、小中学校の子供達の成長も体で感じてあげたいという思いが募ったのです。
もちろん、友人との付き合いも体で感じ続けていきたいのです。
そして、わが妻に対しても、身体で愛情を感じ続けてあげたいという事なのです。