2018年2月28日(八段語録3215)
責任を果たす


 二月も今日で終わりです。
逃げるように二十八日間が過ぎていきました。
日々責任を果たすように努力することで精一杯になっています。
会長として責任を持つという事は、あまりにも遠い道で偉大な事であると痛感しています。

というのも、一日一日が責任を果たせない日々が続くのです。
身もだえしながら、責任に対しての自問自答するような意識が始まります。
そうすると、手塚会長から託された事の僅かだけしか進んでいない現実に直面です。
責任を果たすという状態からかけ離れて、現状維持の状態が続いて悪戦苦闘です。

もちろん、どのように責任を持っていくべきかという事も含めて検討するのです。
今まで、骨身にしみて極真の道を歩んできましたが、苦労だけしか辿れていないのです。
限界に挑戦して、理想の道を進みたいと気合は入るのですが、堂々巡りです。
ここまで、極真の道を歩んできたのだから、根となり、美樹となり枝となり、葉となって茂るはずであるという結論を出すのですが、まだ留まっているという事だらけなのです。

手塚会長と事細かく詳細に検討してきたことが、ブログとして三千二百文を超えています。
ブログを一万文書くと会長に宣言してきましたので、三分の一にも満たないのです。
その中で、表現してきている理想は、手始めの門を開いただけなのです。
富士山の登山に例えるならば、三合目を超えたところというところでしょう。

 富士山は、気高くそびえているのですが、その富士山が大きく見えるだけなのです。
強いて言うならば、あまりにも高すぎるので、躊躇しているのかもしれません。
どんなことがあっても、この山道を一歩踏み出さなければならないという事なのです。
今日もその一歩を踏み出すことに、躊躇している自分がいるのです。
重いおもりがのしかかっているという事かもしれません。

途中で倒れてはいけないという思いが出てきます。
健康状態は大丈夫だろうかと頭をよぎるのです。
俳優の大杉さんのように健康そうでも倒れはしないかという不安も出てきます。
それだけに、自分の十合目までのスケジュールを立てて、取り組むようにしているのです。

そうすると、残り六千七百文のブログのドラマを演じて終了というイメージは役立つのです。
責任を果たすのには、それだけの期間をかけなければならないという数理を追うわけです。
その一歩が今日であり、明日から次の一歩進んで、責任を果たすことの近づくと思うです。
どれだけに、気休めと言われればそれだけの事ですが、励みにはなります。

結局のところ、責任を果たすという事を、期間を過ぎれば果たせるのではないかと置き換えているのです。
また、大山総裁は七十歳、手塚会長は七十六歳で他界しましたので、その年齢を超えれば責任を果たすのではないかと置き換えているのです。
登山に例えたにせよ、先駆者の年齢を超えることにせよ、難しいことに挑戦していることは間違いのない事です。

 そんな理由から、今日も一日一生懸命に過ごすというレベルの挑戦になりました。
あえて、苦難に挑戦という意識にするわけです。
無駄な一日にならないように自己暗示をかけるのです。
パンクした自転車を全力でこぐようなものかもしれません。

責任を果たすという事に対して垣根が、何重にもとぐろを巻いているようです。
その垣根を破壊するように今日も歩んだという事です。
奇しくも、今日は息子の二十九歳の誕生日でした。
今年から、息子が試合に参戦するという宣言をしていました。

接骨院での修行を終えて、極真空手に専念するという事のようです。
今回ばかりは、決して親として進路に関して口出しはしないのです。
息子の極真の修行一本でいくという事の宣言は、親としても重く自覚させられるのです。
道を究めてきたという事は自負するところなのですが、息子が同じ道を行くという事で、襟を正すのです。
息子・娘達・嫁と孫達二人を見守るような一家団欒の誕生パーティーになりました。