2018年2月27日(八段語録3214)
礼に始まり礼に終わる


 礼節を守るという事は、観念的な事ではないのです。
生活の中で溶け込む、礼節習慣でなければならないのです。
私達の暮らしている生活を円滑なものとしていくうえで大切なのです。
礼節を持ち出すと、なにかと堅苦しいように思うのですが、実際は夢のような絆を築くのです。

私自身の個性を引き合いに出すと、実に強い主体性を持っているのです。
もし、それだけに、礼節を失った行動をとるとしたら、迷惑のかけどうしで冷や汗ものです。
実に個性が強いものですから、独走したならば収集がつかなくなるというものです。
誰からも、賛同も協力も得られない人生を歩んでしまうような気がします。

礼節を守れなければ、孤立するならば、寂しさだけが人生になってしまいます。
人と人がぶつかり、いがみ合う事が多くなっていたに違いないのです。
人を大切にしようと思うと、礼儀から始まります。
そのことが、自分の個性を生かすという事にどれだけ貢献したか計り知れないのです。

礼節は、まず身体で表現します。
そこに、心を伴わせて、完全に気持ちをもって対応するという事になります。
まず、よく見て、状況の確認をしっかりして、相手を敬うという事になるのです。
何か空虚に、形だけの挨拶で終わらせようとするものではないのです。

 さて、原町安全安心推進協議会で、広報部において会長をさせていただいています。
スタッフの面々は、町内会長をはじめ、この町の重鎮なのです。
私との年齢差が、二十歳もはなれているのですから、たとえ立場を上に頂いても守るべき礼節があるというものです。
今年度は、広報部会を6回行ってきました。

当然、トップダウンのような、会議の運営は禁物です。
知恵を絞って提案して下さった、意見は最大限尊重させていただくという事に徹してきました。
昔の私であるならば、若気の至りということで、仕切るような運営にしたと思うのです。
それが、極真空手で培ってきた、礼節を重んじるという姿勢でターニングポイントを迎えたのです。
立場は会長であっても、謙虚になって耳を傾けて、尊敬しながらの運営に徹しているのです。

結果、スタッフの町内会長さんたちは、可愛がって下さるのです。
実に有難い事です。
そうすると、私は意見を集約させて、広報紙の制作に取り組むという事になるのです。
集約された意見を、広報紙に反映させるための熱心な話し合いがなされてきました。

礼節を重んじた会議運営は、これからも受け入れられるし、引き続き責任を持てるのです。
原町地区内でも、私自身が大切にされ、大切にされた私が、スタッフの重鎮を大切にするのです。
当たり前のように思えるのですが、組織の中の軋轢は、礼節を重んじないところから起こるようです。
食事より大切な礼節であるように感じるのです。

それも、年齢を重ねた今思うのですから、本物であるという事です。
観念的でなく、お世辞でなく、心から礼節をもって尊敬するという事です。
そんな行動が今となって出来るようになったばかりなので、修行はまだ続くという事です。
心から、スタッフを尊敬するという事は、磨きをかけて、運営が楽になるのです。

さらに、協力もかなりの部分で得られていくのです。
誰も、客観的に傍観者になっているスタッフはいないのです。
このように習い、聞き、尊敬するという事で会議を進めていくうちに、輝く組織になるのです。
二年間、会長を務めさせていただいた礼節に対する収穫は大きいのです。

ある組織では、スタッフを傷つけ、排斥し、引き裂くという事を平気で行う人もいました。
その人物は上にゴマをすって、誰も認めもしないのに組頭になったのですから驚きです。
それが、幸せの基準という事であるならば、ちゃんちゃらおかしいという事でしょう。
別に意見を述べようとは思わないですが、礼節に反するならば、嫌な気持ちに人をさせるかという事を、身をもって体験したという事です。

私の名前ではないのですが、義をもって対応できなければ、批判の的になるという事でしょう。
礼節は義をもたらし、善悪の判断を鋭くするという事につながります。
また、礼節は全体の調和をもたらし、より良き伝統の創設をなしていく礎という事です。