2018年2月26日(八段語録3213)
大海原にあっても一本の釣り竿


 最近、海に出て、船に乗って釣りをしていないのです。
手塚会長が亡くなって、一年以上も走りっぱなしという日々が続きました。
いつもならば、大海原に釣り竿一本で糸を垂らして大物狙いをしているのです。
釣りをするのも、海にある金銀財宝をゲットするという気持ちで糸を垂らすのです。

金銀財宝とは、釣り竿で糸を垂らしているときに湧き出る想像力なのです。
頭の中に、理想のプロジェクトが浮かんで頭の中を去来するのです。
道場の運営に関しても、海の上にいる時に名案が浮かぶというものです。
まさに釣り竿の穂先を見ているようなのです。

例えば、時代は化石燃料から電気や水素のエネルギーに変換しようとしています。
海を眺めると海水が無限に存在しているのです。
海水から酸素を分離して、海底の中で生活するような時代も来るのではないかと思うのです。
水中で酸素を作って自動的に供給するようなことを頭の中で去来するのです。
人の知恵は、陸地に集中していますが、いずれは無限な資源を持つ海へと関心を移すようにも思えるのです。

そうだからといって、釣り竿の穂先しか見ていないのです。
海に関する事情を考慮をするという事でもないのです。
ただ、IT時代の行く方向としては、地球上においては海に向かうのであろうと思うのです。
将来の人類の行くべき方向を見据えながら、静かに釣りをしたいという事です。
隠居の老人には思わずに、時代の先端に一石を投じるという気持ちもあるわけです。
結局のところ、釣りを楽しみたいだけなのかもしれませんが、付随する何らかの発想は大切にするのです。

 さて、映画を作るという目的ならば、海に対する思いを原案にして制作できそうです。
しかし、私の場合、現実にどのようにするかという事の発想をするわけです。
何故かしら空想家にはなれないのです。
あくまでも大海原で釣り竿の穂先だけを見ているという事です。
どのように、具現化していくというプランを立てて実行しようとするのです。

また、預言者のように、未来はこうなるから備えなければ地球は滅びるという発想も嫌なのです。
預言者になるのではなく、実際にできることの積み重ねをするわけです。
極真会館手塚グループの未来に関しても、どのように影響を与えるかに終始するわけです。
何も持たない人生から、釣り竿をもったように、切り口の極真という道の開拓から拡大へと向かっているのです。

世界各国のブランチリーダーのパワーを、結び付けて炸裂させようとするのです。

人生において極真空手を追求して、最高レベルに至ろうとするのです。
西陣織のように、縦に進んできた極真の道を横に拡大させようするのです。
それだけに今の立場は大切であるという認識なのです。
そのような発想を抱いているので、世界の巡回も試みるわけです。

それだけに、人生の切り口を極真としたからには、地上最強の道を開拓です。
逃げるのではないのですが、年齢が高くなっているだけに心技体の完成度を目指すのです。
肉体は、もう老化の一途ですから、稽古を重ねて現状を維持することに必死なのです。
そのように、現実を踏まえての人生の闘いをするという事が染みついているのです。

結論として、太平洋の真っただ中でも、釣り竿の穂先を見ているだけなのです。
その先の針に、どんな大物がゲットしているかという事を楽しんでいるのです。
そんなことを発想して、妻とデートでした。
ちょっと軋轢がありましたので、和解にもなりました。