2018年2月24日(八段語録3211)
稽古は人生を変える


 極真空手の稽古には、伝統が圧縮されているのです。
それだけに、あらゆる武道が濃縮されているということです。
極真空手の場合、創始者を大山倍達から始まり、直系として私たちは受け継いでいるのです。
つまり、垂直に真っすぐに受け継いでいるという事です。

私達にとっては、親父のような存在です。
それを、今の若者も引き継ごうとして道場に稽古に通っているわけです。
総裁も手塚会長も過ぎ去った過去の代表者になります。
私達はというならば、現時点を代表しているという事でしょう。

それで、今の道場生は、未来を代表しているという事です。
この極真の伝統を家族に適用させて、今まで生活してきました。
様々な現実に遭遇しましたが、一つ一つ乗り越えてきたというのが実感です。
そして、今は、過去、現在、未来が縦糸に結ばれているように思うのです。

おかげさまで、我が家において長男が極真の継承して伝統を後世に伝えてくれるのです。
極真の道を歩んだので、「私の道」が次の時代に結ぶことができたのです。
実に感無量のような気がします。
それだからと言って、、安心して安楽に過ごそうとは思わないのです。

 さて、若かりし頃から求めてきた極真空手は何であったかと自問するのです。
私にとって、人生の訓練所という事になりました。
もし、極真空手で修行していなかったならば、人生に疲れ果てていたかもしれません。
生き様が極真空手で、その武道が息づいて呼吸ができ生きることができているのです。

学校や社会でも学びましたが、最も人生の教科書になっているのは、極真空手なのです。
妻は武道をたしなみませんが、子供達全員が極真空手の修行を積んできたのです。
教材のような精神を極真空手で磨きをかけたのですから、一人前にはなっているようです。
長男は結婚生活十年目を迎えようとして、二人の孫を見せてくれているのです。

この武道スプリットが、人生に与えてくれた影響は大きいのです。
道場の稽古だけに留まらなかったのです。
個人の生活に反映することができたのであり、家族を持ってもしっかり柱になったのです。
それも、私の場合、趣味で道場を開いているのではないのです。

生活の全てを道場生と共にいるという実感で指導を重ねているのです。
そのような事で、家族の生活を共有する極真空手として生命の息吹を感じているのです。
人生そのものを体験する上で、必要不可欠なスプリットであったという事です。
登山をするにしても、上り口があるのです。
一歩踏み出す道が、極真空手であったという事は、幸せな事です。

 ところで、人生の航路は私にとってまだ続くと思うですが、いつ終了するかもしれません。
というのも、三日前に、大杉漣さんが六十六歳若さで亡くなりました。
私よりも一つ上の年齢ですので、他人ごとではないように思っています。
映画やテレビでの俳優としての活躍を見る限り、アクティブに活躍していました。

役者という仕事を選んで活躍したのです。
同じ年代を過ごしてきたものとして、他人事には思えないのです。
役者という道を追及した大杉さんも、人生の舞台をしっかり作ってきたのでしょう。
それが、死ということで、現役の全てを終了するのです。

勿論、俳優ですので、残された業績はすべて録画されているのです。
記録されているという事は素晴らしいことです。
私の場合、自叙伝のように日々の思い当たることを表現しているのです。
それは、過去現在未来を現在に集約するための手法としてあるのです。

過去を振り返り現在を見据えて、未来に夢を抱く根拠にしようとするのです。
私自身の人生の振り返り門が、日々記録しているブログなのです。
決して過去を踏みにじったり壊したりはしないようにしているのです。
羅針盤のような存在が、このブログという事にもなるのです。

 これからの人生に対しても死が訪れるまで、破綻させたくはないのです。
無事に人生行路を乗り越えていくためにも、日々の記録は必要と考えています。
記憶だけに頼ると、その時の雰囲気で、いかようにも操作してしまいます。
それが、しっかり記入するだけで、私自身と道場生に対しても良き影響を与えるというものです。