2018年2月23日(八段語録3210)
極真の道に従う


 極真の道は紛れもなく地上最強を目指そうとするので四苦八苦です。
フラフラしたならば、全て失われかねないので、出口と入り口は繋がっていた方がいいのです。
途中で、別な道に変えるという事はできるだけ避けるべきです。
手塚グループで修練の道にはいったのでしたら、最後まで究めるという道を行くべきです。
そのような一つの道を究めるという事を心掛けるならば、滅びることは無いのです。

極真の道として一途に究め続けるならば、どうなるのでしょうか。
誘惑というあらゆる試練を越えていくことができるというものです。
さらに、道を究めるとグループに溶け込んで一致団結することができるのです。
そうすると、甘い誘いから免れることができるというものです。

一つの道を究めようとするならば、一方向ですから鋭角的に力強く歩めるというものです。
その為には、この道を究めるという信念が伴わなければならないのです。
手塚グループの修練の道を究めようとしなければ、自分の修行にはならないのです。
それも、先輩たちが築いてきた伝統を継承するのですから、恩恵は大きいはずです。

間違いなく、修行した全ての経験は自分のものになるというものです。
一本道である手塚グループとして提示している道は、進まなければならないのです。
そうでなければ、このグループの伝統を継承することもできないという事です。
それは、誰も行ったことがない道ではなく、会長はじめ指導者が究めた道なのです。

 さて、今まで極真の修行をしてきた道場生たちはどのように修行してきたのでしょうか。
決して片手間に道場で稽古をしてきたのではないのです。
道場では真剣なのです。
そして、その真剣さを何十年も継続してきたという事です。

要するに、狂ったように日々稽古に打ち込んだのです。
当然強くなるというだけでなく、心技体が磨かれるのです。
それだけに、選手時代であっても指導者になってもぶれないという事が願われるのです。
策略を練るような第三極のような立場に立つとするならば、策略に隷属されるという事です。

つまり、人として最も嫌われる道を行かざるを得なくなるというものです。
何かしら良心が痛むような生き方になるという事です。
それだけに、自分の魂と肉体の全てを投入して、示された道を開拓すべきなのです。
そうすれば、栄光の出発をして栄光の生涯になるはずです。
極真空手の修行が悔いのない人生の架け橋になるに違いないのです。