2018年2月22日(八段語録3209)
大空と水のように


 最近は、根白石の別荘で日々過ごしているのです。
自然の中に囲まれているので、心が癒されるのです。
周りの景色は、一日に何度も変化します。
「人心は朝夕に変わる」という事を言いますが、自然の景色は、朝夕ではなく時間ごとに変わるのです。

一日を味わってみると、晴れ渡った天候といっても、風はあらゆる方向から向きを変えて近づいてくれるのです。
日差しも雲が掛かると、日の光の強さも落ちて周りの状況も変わるのです。
人の顔が異なると同じように、四季折々、時間ごとに光景を変えてくるのです。
自然の中に溶け込んでの生活は、刺激的な妙味をもたらせてくれるのです。

木々の水滴に光が当たると、ダイヤモンドの輝きに似てきらきらと光ってまばゆいのです。
また今の季節の畑は、白い雪で覆われたままです。
その雪が、土に浸み込み野菜たちの生命の真清水になるのです。
水は、水平になろうとするので、畑の隅々まで行き渡ろうとするのです。

そして、野菜たちの生命の輝きを増すための準備をしっかり整えているのです。
四月になれば、もうジャガイモを植える時期になるのです。
また、五月からは、夏野菜たちが芽を出すのです。
そんな自然は、千年も万年も飽きることのない光を放っているようです。

 さらに、雲一つない青空は、いくら眺めても疲れないのです。
心の慰労の全てを癒すかのようです。
空が青いという事は、実に理想的すぎるのです。
空の引き込まれるような青さで、空が私の隣人になってくれているようです。

極真空手という武道の道を志したのは、煩わしい人間関係を避けたいからという事もあります。
自然は、性質を良く知ってさえいれば、正しく対処できるのです。
しかしながら、人間の性格は屈曲して千態万象です。
今日は、こうであったのですが、明日は全く違っているという事があるのです。

武道という道は、修行を続けて変わらないという姿勢を貫きます。
朝に夕に変わる人の心をコントロールする修練をするのです。
使い道にならない人間を、信じられる人格を作っていくという作業をするのです。
要するに、人の心を自然のようなありのままの姿に変えようとする修練なのです。
間違いなく、大空は、天下を抱いて見つめてくれているのです。
水もまた、高いところから雨を降らせて、四方に広がっていきます。
そんな自然の姿から、学ぶことも多いという事です。
日々の生活で大空のように天下を抱いて、貧しい人たちに水のように極真精神を広げていくのです。
もちろん、倉庫にコメがあるとするならば、水平に分けて上げることができるのです。

そのような心を作っていくための修行の場が別荘なのです。
いよいよ畑の準備も始まります。
自然と戯れながら、修行の道を究めて行こうとするのです。