2018年2月21日(八段語録3208)
子供達の育て方


 三十年近く前、避難民のように当てもなく実家に帰って来たのです。
家族五人、実家の近くのピーコック原町のマンションに住みました。
家賃八万五千円、子供達を五条保育園に入園させて、夫婦で共働きでした。
そして、すぐさま人生計画を立案して、実行するのです。

表面的には、家族も顧みずに学問に専念するわけです。
大学院のダブルマスターを目指して、バイトをしながら学業に専念です。
税理士という国家資格を念頭において、猛勉強でした。
ゼミでの発表や学会に参加、そして修士論文を書き上げるのですから、時間は足らなかったのです。

子供達の教育という事に関しては、父親の生き様を見てもらったことになるのです。
勿論、一緒に過ごすという事を、片時も忘れなかったのです。
スイミングのプールのコーチ時代は、プールのイベントには参加させていました。
その時企画立案していたのが、事務局長の北山さんでした。

大学のゼミの合宿にも、子供達を一緒に参加させていました。
網地島での合宿、蔵王での合宿は欠かさず参加です。
教授の娘さん二人も同じ年でしたので和気あいあいに過ごさせていただきました。
大学にも、一緒に連れてきて、生協の食堂で食べさせたり学園を遊んでいたりしたのです。

 さて、何を言いたいかというならば、親父の生き様を子供達が小さい時から見せたのです。
小学校から学校教育を受けて子供たちは育ちましたが、本筋は親の育て方であると思ったのです。
実家に帰って来た時、子供達は幼年でしたので、手取り足取りという事でした。
どのように教育できるかという事は五里霧中なので、極真の伝統が基本になったのでした。

全員に極真空手を強要したのでした。妻は知らん顔でしたが。
どの子供も嫌という事はなかったのです。
稽古が終わると健康ランドに連れて行きお風呂に入って、食事とゲームをして帰るのです。
生活の為とはいえ、奨学金とバイト料そして、借金を重ねて乗り越えてきたのです。

私の家法は、私自身の生き様という事でしょう。
子供達の教育レベル、そして家族の規範が私から出発です。
しっかり育てなければ、子供達から追及を受けるという思いでした。
それだけに、日々真剣な生き様を親としてはしたことになるのです。

親として見本を示そうとする気持ちは、人一倍あったのです。
だからと言って、勉強を強要した覚えはないのです。
ただ、極真空手を学ぶという事に関しては、真剣に指導したのです。
師範になっていたので、道場生が尊敬する分、我が子供達からも無理なく尊敬を受ける位置に立ったという事でした。

 もちろん、中学時代に子供達が突入すると、一人一人課題との取り組み方が違ったのです。
その時には、すでに実家の隣に家を建てていたのです。
ひもじい思いをさせずに、思春期を過ごさせてやることができました。
理想の教育には程遠いという気持ちもありましたが、子供達に寄り添って過ごしたのでした。

確かに、真剣に親が日々を過ごしているという事もあって、反抗期はなかったようでした。
子供達が、成人するまでは、人生の正道というものが何なのかという標本を示したのです。
自分が先に進んで、子供達をリードするという事を、積極果敢に推し進めたのです。
親として完全燃焼して、できる限りを尽くして、教育し続けたという実感はあるのです。

それだけに、子供達の前でも、人生を勝ち取らなければならないという執念は見せたのです。
自分が基準になって、子供達を引き上げようと思ったのでしょう。
間違いなく、子供達は、親の姿勢を学ぶものであると確信しての人生でした。
当然、様々な事情が生じ、試行錯誤が続いたことは想像することができると思うのです。

いままで、子供達に立派になれと言った記憶はないのです。・
親のような人生の歩み方をして、人生を行けという姿勢でした。
今日までですが、親としての責任は果たしてきたのではないかと思うのです。
子供が成長して、長男は子供を二人も授かりました。
それだからといって、親としての真剣な歩みは止めないのです。

 結論として、子供達には、言葉では指導しなかったのです。
説教をしたのは小さい時だけで、主にしつけでした。
しつけといっても、手も足も出るのですから、子供達には怖かったようです。
それでも、今は黙って見守るだけです。

それでも、今でも子供達を抱いているという気持ちがあるのです。
それだけでなく、息子の嫁さんに対しても、娘同然に思っているのです。
それだけに、生活の中では、決して弱みを見せないし、悲しい涙は出さないのです。
私の子供であったことに誇りを持ってもらいたいという気持ちで過ごしています。
当たり前に、今も現役です。

もし、子供達に残してあげたい財産ならば、「私の生き様」という事でしょう。
実際に、財産が相続しなければならないとするならば、長男の息子が責任を負うべきです。
彼が、兄弟に分配すればいいのであって、森家の存続と他の兄弟への配慮があれば十分です。
ただ、兄弟喧嘩をするようであれば、決定権はすべて長男という事です。

第一に森家の繁栄を発想して、それと同じ比重で姉妹をサポートするという事です。
そのような教育をしてきたように思うのです。
私が何かあったとしたならば、長男を立てて家を守れば良いという事です。