2018年2月19日(八段語録3207)
覚悟


 どんな行動に関しても覚悟は必要です。
政治家は特に選挙では覚悟は政治生命をかけるという事になるのです。
昔であれば、城を守るために戦をしたのです。
生死を掛けた戦いという事になるわけです。

政治とは別に、人生は威厳を持ち、日々生きがいある人生を送るのが前提でしょう。
今の時代は、選挙で敗れても生命を取られることは無いのです。
それだけに、戦いが終わったのちは、どのようにチェンジするかにかかっています。
固執するとなると、敗北した世界だけが大きく描き出されるというものです。

せっかく人生を歩むことができるのですから、成長し完熟したいものです。
勝ち負けの経験からすると、はるかに負けていることの方が多いのです。
自分の人生は、敗北が多いし、片道切符でもあるし、戻ることができないのです。
それだけに、勝敗に対してもある程度客観的に眺めなければならないという事でしょう。

それだけに、いつも神聖な心を宿らせて、勝敗を認めて次に取り組むという事です。
人そのものは、身分制度のような上下関係はないのです。
これは、憲法に規定されていることで、人は大切な生命であると認められているのです。
健康で精神が健全であるとするならば、次への挑戦はできるはずです。

 さて、選挙で重要なポストに就きたいという事は、大切な事です。
そのような欲望は望む人は持つべきです。
もし、その願いが果たされなくても、その夢は受け継がれて誰かが叶えるのです。
その席には生涯、座ることができないというわけでもないのです。

人生において、夢を捨てないという事が大切になるというものです。
私も振り返って、夢に挑戦し続けてきました。
その夢が、現実になろうとするときに、自分から蹴飛ばした経験を持っているのです。
私の息子も、柔道整復師の資格を持って十年の修行をしてきたのです。

高校卒業してから、道場生の怪我を直したいという事で、専門学校へ通ったのです。
修行も相当年数かけて行ってきました。
時がたって、その夢を実現するかに見えたのですが、結局極真空手の指導者になるのです。
それでも、十年近くの修行時代は、無駄にはなっていないと思うのです。

夢は変わることもあるという事です。
私自身、夢を追い続けるという人生を過ごしてきました。
いつしか、夢が色あせて別な夢へと転換したことはただあります。
決して、実力や能力がなかったからというのではなく、自分に合わないと思ったのです。

 ところで、夢が現実と違った時に、そのまま「夢として歩むのか」という事です。
私は、納得しないという結論をつけたのです。
かつて、大学を経済学に限定し、大学院で会計と租税法を学びました。
当時は、学位による科目免除制度があって、学位を治めるだけで税理士になれたのです。

学位を取得するような段階に入ったときに、この道ではないと結論付けたのです。
大学・大学院のダブルへの道でしたので、期間は八年以上、学費は莫大でした。
私の家族も呆れていたのを思い出します。
それで、自分が自信を持って進んだ道は、極真空手の師範の道という事でした。

今でも振り返っても、悔いはないのです。
納得して夢を追い求めるという事は必要なのです。
その夢が、自分と合わなければ、かなぐり捨てるという事でしょう。
人生は一度しかないのですから、大切な事です。

そして今、「夢のある人生を送っている」と納得しているのです。
誰が認めなくても、自分の本心は、喜んでいるのです。
これからもそのような生き方をしようと思うのです。
この年齢になっても、生きがいを感じることができるのも、やりたいことをやっているからです。

人の価値は、どこの神社のお宮よりも尊いはずです。
それだけに、「神の宮は私である」という強い気持ちにもなります。
そのような意味では、心に神が宿るという事でしょう。
そんな気持ちで、夢の実現に向かって、今も活動中です。