2018年2月17日(八段語録3206)
BBS連合65周年記念大会


 来年度から宮城県BBS連合の会長の予定になっています。
「予定は未定にて決定にあらず」ですからどのようになるかは分かりません。
それでも、推挙されたという事は、有難いことです。
そのような事情で、仙台市青葉区の大会に出席させていただいた次第でした。

この組織は、刑務所や少年院そして鑑別所等、更生を必要とする子供達の為にあります。
その為の活動する人材として、大学生が中心になっているのです。
その拠点である東北福祉大学構内で、大会が行われたのです。
奉仕精神のある学生が執り行う行事ですから、質素倹約そのもので新鮮な感動を受けました。

それだけに学生が主体で、社会人が付随しているという印象は否めないのです。
そこに私が投入されるということです。
というのも、極真会館という武道組織で、青少年の教育を今まで行ってきたからでしょうか。
若い人たちと一緒に行動するという事に、まったく違和感はないのです。
大会から形式の流れの中で、二部の懇親会では、学生と会話です。

学生の会話を聞くというよりは、社会に出るという事に対する心構えを話しているのです。
話している本人が、社会に出ないで極真の中にいるという事を自覚してしまうのでした。
それでも、将来的に結婚して、子供を育てるという事は共通という事での話になりました。
それにしても、学生が主催するので、シンプルな大会という印象が焼き付きました。
 
 さて、学生との会話で感じたことは、純粋に社会を見ているという事です。
私の時代は、学生運動が盛んな時だったので、世の中に対して、反社会的な反感だけが募っていました。
それが、BBSの学生はまったく社会に対する悪感情はなく、溶け込もうとする意識が強いのです。
問題意識もあるのでしょうが、それ以上に社会に順応するような姿勢です。

結局、私の場合、学生と話してみて、強く社会の列外の道を歩んだという事を自覚したのです。
勇気があったのかどうかわかりませんが、飛び出したのでした。
自分なりに考えもしての行動でした。
そんなわけで日々が、改革改善の開拓をするという気持ちが強かったのです。

酒や女性との付き合いは、全く眼中にも無かったのです。
まじめに、人格の成長を願い、自己管理を徹底させたのです。
時が過ぎ、初恋の人を結婚相手にして、子供を育てました。
信念に基づいて、この年齢まで歩み続けて、結局、社会に助けられていたと感じるのです。

気が付いて、もう二十数年間も社会奉仕のボランティア活動を手掛けているという事です。
決して、社会の全てを鵜呑みにしている訳ではないのです。
かといって、政治の道を究めて、明るい世の中を作ろうと働きかけるわけでもないのです。
「正しい人生はどうであるべきか」という事をひたすら追求しているのです。

 ところで、一番気を付けたことは、女性を傷つけないという事でした。
自分の中に渦巻く性欲に対してのはけ口を女性に求めないという信念でした。
それは、ある意味で武士道である極真で良かったという事です。
日々修行僧のように、自らを律する世界を求めたわけです。

そして、出会った千順さんとプラトニックな愛情を10年に及んで培ったのです。
心が清められて、結婚したという気持ちを抱くのです。
そして、妻だけを愛して、子供をもうけたという事ですから、これも自信になりました。
世間では、お手本のようなものですから、これを正統であると思っているのです。

社会の崩壊を目のあたりにした、多情多感な青年であった自分の信念を通したのです。
勿論、国家世界を眼中に置いた気持ちは強かったのです。
それでも、極真の修行をして自分を治め、家庭を築くというところに全力を傾けたのです。
我ながら、あっぱれと思うようにしているのです。

BBSの学生と対話をするうちに、昔の自分の姿が浮かび上がってきたのです。
だからと言って、学生に自分の人生を強要するつもりもないのです。
ただ経験した私の人生は話すことができるというものです。
そのような、シンプルな会合に出席させていただいて、感謝という事です。

 この組織で、一体何ができるかという事でしょう。
百人以上いる学生に、人生の先輩としてメッセージを伝えることもできるというものです。
ただの役職の会長としてというのではなく、影響力のある会長になるのでしょう。
今から、何か浮き浮きしてくる気持ちも出てきます。

この道を歩んで、さらに社会に影響を与えるという事ですから、やりがいがあります。
自分がトップであることゆえに、許しも愛もあるというものです。
采配を任されるという事は、責任もありますが、やりがいもあるという事です。
そんな気持ちを、抱きながらBBS連合の会合を終えてきました。