2018年2月12日(八段語録3202)
高梨沙羅選手


 夜十時から二時間、家族で女子ノーマルヒルのジャンプの放送に釘づけでした。
ワールドカップ53勝の高梨選手が平昌オリンピックでの活躍に期待しているのです。
今年は、ワールドカップゼロ勝ということで、世間は色々と評価していました。
資生堂の化粧やベンツを乗り回す事に、それなりの批評も飛び交っていました。

結果、自分の全てを出し切って、銅メダルの栄誉に輝きました。
二十一歳の若さで、あらゆるプレッシャーにも負けずに臨んだオリンピックでした。
人生における晴れ舞台を準備されて、結果を出したという事にただただ感服するだけでした。
それも、日本中が注目する中でのジャップの姿は、日々の練習をそのまま体現しているようでした。

四年前のソチオリンピックで四位という事でした。
順位以上に精神的弱さを全面的に反省していました。
もちろん、十七歳ですので、無理もないことです。
その反省点をしっかりクリアして今回の銅メダルになったのでした。

日本国民に期待され、金メダルは取れなかったにせよ、素晴らしい成長を見せてくれました。
もちろん本人の才能と、周りの支えがあったからこそという事でしょう。
そして、黙々と戦う姿は、日本国民に感動を与えたという事です。
私自身、テレビ中継に釘付けでした。
そして、私自身にたいしても、素晴らしい感動を与えてくれたのです。

 さて、高梨沙羅選手の活躍の瞬間は、私自体の生活全体の栄養素の吸収に役立ちました。
私自身、この勝利の一瞬に最高の感動を受けたのです。
感動の分岐点は、長い期間のコツコツと練習してきたこと以上に、一瞬だと思えるのです。
この瞬間が、高梨選手に期待していただけに、心を打ったのです。

この勝利を目撃する前に高木美帆選手の千五百ンメートルの銀メダルのテレップが流れました。
また、ゴーグル男子の原大智選手の銅メダルのニュースも飛び込んできました。
良いニュースが流れる中での、女子ノーマルヒルのジャンプの最終滑走を迎えたのです。
そして、瞬間に銅メダルに輝いた高梨選手を見たのです。

まさに、このオリンピックで王座と王冠を受けたという事です。
もちろん、金メダルであったならば、それに越したことはないと思うのです。
それでも、銅メダルでも、この瞬間に輝いたという事が素晴らしく思えてなりませんでした。
高梨選手の瞬間を輝かせるための言葉の一つ、行動の一つが思い出されます。

彼女が繰り広げてきた内容が、日本国民に残った信念のように思えるのです。
確かに、勝負の勝利の決定は瞬間でした。
瞬間の分岐点の中で輝いたのです。

 ところで、そのような姿をみて、私の選手時代を振り返るのです。
私の選手時代も、極真空手に取り組む姿勢がありました。
一時間、一日、一週間、一か月とどのようにすればいいかという自問の日々でした。
そんな日々が、自分にとっても大切であったように思うのです。

失敗だって、一瞬でもたらせられるし、一瞬の失敗が、人生駄目にすることもあります。
今日のニュースの中で、除雪車が老人を巻き込んで死亡させたのです。
一瞬の失敗ということです。
加害者と被害者の人生は、この一瞬で滅亡のどん底に落ちてしまうのです。

そんな事を考えると、一瞬一瞬の生き様が大切という事でしょう。
人生の「終わりの日」も一瞬で来るだろうと思うのです。
それだけに、一日一日の生活をもう一度尋ね直そうとする時間でした。
この高梨選手の結果を、どのようにグループの活動と一致させるかという事です。

 そのような歴史的勝利の瞬間に立ち会えて、感じるものがありました。
私の舞台は、そんなに目立つものではないのですが、それでも瞬間を目指そうと思うのです。
「終わりの日」も瞬間、感動を与えられるのも瞬間でしょう。
それだけに、もっと日々を大切にという気持ちを強く抱きました。