2018年2月7日(八段語録3197)
孫達は素敵な玉手箱


 去年、二人目の孫を授かりました。
不思議に、自分の子供が生まれた以上の感動が押し寄せてくるのです。
息子の嫁が、子供と戯れている姿を眺めては、玩具を頭の中に描いているのです。
いつしか、孫達が遊ぶ情景を楽しんでいるのです。
さらに孫達と触れ合うと、この上もない豊かな情緒が引き出されます。
私達夫婦で、子供を産み、愛した者としての楽しみの「おまけ」のように心に広がっていきます。

頭の中を駆け巡るのは、私も「こんなふうに遊んでいた」という懐かしい昔なのです。
幼児の頃を息子・娘の姿で思い描き、さらに孫達で再び呼び起こすのです。
孫達は、第二の私に代わって、当時の思い出を生き生きして表現してくれているようです。
それだけに、愛おしくもあり、私の生命の続きのように思えるわけです。

ところで、このように孫達に対しては、決して人ごとのようには思えないのです。
まさに家族であり、血がつながっているのです。
見れば見るほど愛らしく生命が躍動し、理想的な私が鏡に映るように登場するのです。
何故、孫達が愛おしく思えるかというならば、確かに私の愛情が通うからなのです。
また孫達の姿に、自分が理想とする「愛の家」の姿が映し出されているのです。

不思議に、孫達に自分の姿が色濃く映っているものですから、見返りを願わないものです。
ありのままの姿に満足し、幸せでいられるのです。
日々の生活の営みではなく、わが身の全てから湧きあふれる情感の世界に繋がるのです。
六十五歳の年齢を重ねてきたからこその、思い描くことがなかった経験をしているのです。

家庭教育のアドバイスは、私の共鳴者が家庭に至る所にいるという実感をすべきという事です。
自分と共鳴するだけに、真剣に愛情を注げるというものです。
傍観者では、人生における血のにじむような苦労も報われないのです。
その愛情が流れるならば、良き家族を大切にするという事に繋がるのです。