2018年2月2日(八段語録3194)
交通指導隊講習会


 交通指導隊の講習会と新年会がありました。
今月は、一日に朝から交通整理をしていました。
今年は、できるだけ欠かすことなく街頭に立って交通指導に当たろうと思っているのです
講習会は、疲れがピークでしたの居眠りの時間になってしまいました。

それでも、毎年地域での交通事故の報告を受けて、悲惨な事故から守ろうと思うのです。
この地域の百数十人の隊員が講習を受けるのです。
去年は、手塚会長の死去を受けて、交通指導隊の活動はおろそかになっていました。
それだけに、今年は地域の安全・安心の為に頑張ろうと思うのです。

交通指導隊の仲間と会話をするだけで、心が和みます。
多くの隊員が、ボランティア活動を楽しんでいるのです。
私も、警察と同じ服装で身を固め、街を守っているという意識になります。
コスプレのようですが、それでも交通指導隊員になりきれるので嬉しくもあります。

講習会の後は、全員会場を移動して新年会です。
私は。お酒は飲みませんが、マイクを握ってカラオケです。
今日は、松山千春の「長い夜」をトップバッターで歌いました。
実に酒に酔っていなくても、歌に酔っていつも以上に熱唱でした。

 さて、私は、こうして地域の為に貢献することを重要視しているのです。
人生は一度しかありません。
瞬間の連続であり、間違いなく人生というこの世での接点は、一度しかないのです。
まさしく、一点で一瞬だけの接点の人生という比喩や例えに当たります。

あまりにも短い瞬間の連続に違いなのです。
日常の生活の中で、コスプレであろうがなかろうが、地域の為に活動するのです。
人として、そんな人生をどうして歩んだかという事を問うときに、地域の為に尽くしたという事にしたいのです。
このような交通指導隊の活動は良いことであると決めつけています。

自分のやりたいことを割愛して、奉仕活動をしていのですから、自分でも納得です。
そのように思うという事は、自分では貴重な時間を持っていると自覚するのです。
誰にも、認められなくても地域の人達の貢献できているという自己満足はあるのです。
それだけに、健康を維持して、できるだけ続けようと思うのです。

自分の仕事だけ集中したならば、もっと効率的であるだろうと助言する人もいます。
その助言に耳を傾けることもできるのですが、社会に生きている以上、社会貢献だとしているのです。
肉体をもって、生活しているのですから、多く人のお陰という事を意識するのです。
そんな気持ちで生活することができるという事は、幸せなのかもしれません。

 ところで、交通指導隊に限らず、できるだけボランティア活動に首を突っ込むのです。
それは、例え宇宙と自分自身の肉体を交換できるかという事を思うからです。
宇宙の価値よりも私の肉体の価値は高いと勝手に思うわけです。
自分の生命が何よりも尊いと本気で思っているのです。

だから、人様に迷惑をかけて生活するとしたならば、自分を切り捨てたくなります。
自分の人生がビデオに収められているとするならば、奉仕活動はかっこよく映るはずです。
このビデオには、家族を愛し、地域を愛し、極真を愛する映像を残したいと思うのです。
いつも思う事は、夜ベッドに休んで、朝起きることができるという保証などあるはずもないのです。

それだけに、精いっぱい今日という日をまじめに生きるという事に徹するのです。
ちょっとカッコよく表現するならば、無責任なままに生きたくはないのです。
生きていて有利な事は、思ったことを五体で実行できることです。
もちろん、死去することは避けることはできないのです。

この地域で生きて、いずれは死去して去っていくのです。
そんなことを考えながら、奉仕活動は気持ちが良いことの一つとしているのです。
確かに、エリートと呼ばれる人達は、このような奉仕活動はしていないようです。
それだけに、エリートと呼ばれる人以上に、社会の為に尽くすという気持ちになるのです。

 結論として、交通指導隊の奉仕活動を楽しんでいるのです。
このような奉仕活動をすると、人を利用しようと考えず、利益を得ようとも思わないのです。
自分の気持ちが歪めば、ばかばかしくてやっていられないようになります。
それだけに、交通指導隊で行動しているという事は、まだ人格がまともであるという事です。

このような奉仕活動をすると、人の悪口は言えなくなってしまいます。
かえって、愛情の空気で満たされて、挨拶さえ元気にすることができるのです。
地域の人に、拍子を合わせることができるというものです。
挨拶を受けるという事は、罵倒をされるのではなく、ご苦労様と感謝されるのです。
そのような空気を吸える立場は有難いものです。
寒い街頭に立ってはいるものの、自由を享受できているのです。
一人の自由はわがままという事だけですが、地域の人との共有は真の自由に思えるのです。
決して孤立していないという気持ちになります。

何の制約も受けずに、共有できるのですから有難いことです。
そのような奉仕活動を、故郷に帰ってきてから実践しているのです。
肉体の続く限り、できるだけ頑張ろうと思うのです。
何の制限もなく、自由に生きる術を身に着けた思いなのです。