2018年1月27日(八段語録3190)
心に明るい希望を


 人生の景色は今までもこれからも暗くはならないようです。
どんなに困難を伴うとしても、光の入らない暗い色彩にはならないのです。
このような人生の景色を築いてくれたのは、私の両親ということです。
貧しい中でも、何でも手作りの料理で食卓を飾り一家団欒を楽しんだのです。

親父は、定時に仕事を終えて家に帰ってきました。
全く飲み屋で時間をつぶすという事はないのです。
家に帰るとメインは、野球の巨人戦です。
そして、力道山のプロレスを一緒にテレビに釘付けです。

それで全く親父は、テレビの解説はしないのです。
ただ黙々と、二級酒をチビリチビリ飲んで野球やプロセスのプレイに興奮しているのです。
お袋は、下宿の住人に食事を出して、苦労話を聞いているのです。
その後、茶の間に帰ってきて、九時からのドラマを一緒に見るのです。

今思えば、何気ない日常を家族で暮らしたという事が、私の財産になっているのです。
勉強を家に帰ってするという習慣は全くなかったのです。
両親も棟梁のところで修行して大工になればというぐらいでした。
今思えば、何よりも一緒に生活することを大切にしてくれた両親でした。

 このような森家の伝統は、脈々と私にも引き継がれたようでした。
学校から帰ってくる子供達をキャッチするや連れ添って、すぐに道場に出かけるのです。
毎日道場で汗を流して、それから健康ランドに向かって風呂に入りゲームもするのです。
寝るまで一緒という事なので、子供達も家に帰って勉強するという習慣はなかったのです。

その子供達も、もう長男の二十九歳を筆頭に、成長しているのです。
何も良い物を買ってあげることはできませんでしたが、愛情だけは与えたのです。
それは、彼らが大人になっている今でも変わらない愛情を注いでいるのです。
私個人として、意識していることは両親に育てられたようにという事なのです。

私が子供のころ親に育てられたこと、親となって子供達を育てたこと、一緒に浮かんできます。
愛される自分がいて、愛する家族がいるという人生を過ごしてきているのです。
今まで歩んできた人生は、再び繰り返すことのないという事でしょう。
その為に、寿命があるという事なのだと認識しているのです。

そんな人生を過ごしてみて、過去も今も、そして将来も明るく感じるのです。
お金の色彩で過ごしてきていないのです。
豊かさを愛情で奏でようとすることで過ごしてきているのです。
それは親から学んだという事です
それだけに、どんなにお金が無くても、豊かな色彩が心に広がるのです。

 ところで、私は両親と一緒だったのです。
いつも自由に、また平安に、いつでも帰って来られる家族があったのです。
何の為に今まで生きてきたかというならば、「家族と共に愛の為に生きた」という事でしょう。
自分が振り返って、素晴らしく誇りに思っている生き方なのです。
そして、私自身高齢者になってみると、愛情の花を咲かせ実を結んでいるかのようです。

これが人生の目的であるとするならば、人生はそれなりに短くても良いと思うのです。
それだけに、一人の私の季節が終わるという事に対して何ら違和感はないのです。
この人格も、愛情で完熟していると思うようにしているのです。
愛情に包まれて死んでいくとするならば、本望という事です。

何故、私という生命が生まれたかという事は、計り知れないことです。
それが、人生を通じて成熟した人間に育ったという事は事実なのです。
私の場合、男として生まれて、男が行く道を歩んだことになります。
それがゆえに、妻に出会って妻と家族を守るための生き方をしたようにも思うのです。

最初から社会的立場を求めて勉強して大学を目指し大企業に入ろうとはしなかったのです。
そんな目的で、人生を送ろうなどとは、夢にも思わなかったという事です。
その為に、学生時代は変人扱いもされたものです。
自分で納得しなければ、一歩も進めなかったのでした。

 結論として、仕事はどうでもよかったのでした。
大工として家を建てて棟梁になっていたとしても、今と何ら変わらないのです。
ただ気持ちの中で、燃え上がる愛の情熱が燃え上がっていればそれで良かったのです。
四肢五体と五感が重なり合って、この上もない喜びを感じるという道を求めたのです。

そして、有難いことに、極真空手の道へと進んだという事でした。
そんな道で、食べて行けるのかという質問を受け続けたのも事実です。
それが、私の人生の選択でしたので、疑問も何もあったものではなかったのです。
この道を歩んでからには、時計の振り子のように一定の動きは止まらなくなっていたのです。

一度振り子の人生が動いたからには、ひっきりなしに動いたという事です。
もちろん、極真の道を歩んでみて、行けば行く程、加重され遠心力が加わったのです。
何かしら、一から始まった人生が三百六十度回りきっていくように思うのです。
そう考えると、今は第四コーナーを回り切っているところでしょうか。

そのような気持ちでの人生ですので、光が射して明るいのです。
昼もあり夜もあります。また四季折々の季節もあるのです。
その中で生活して、今の心は、晴れやかに光り輝いているようです。
まさかお迎えは来ないと思いますが、希望を先立てて今日も歩もうとしています。