2018年1月26日(八段語録3189)
酔っぱらって新年会


 今年、何回新年会に出ているのでしょう。
これからもまだまだ新年会は続きます。
昨日は、交通指導隊の原町地区のメンバー十人が参加しました。
美味しい料理とお酒が進み、屈託なく今年の抱負を語っています。

地域に貢献している方々ばかりなので、奉仕の話が出ます。
例年になく雪が多いので、誰に言われるまでもなく自主的に雪掻きをした話。
歩道橋に雪が積もって危ないので、交通路を確保した話。
防犯協会で、宮城県会長を依頼されて、困惑して悩んでいるという話。
様々なレベルの高い会話になります。

とても、良いお酒を召されて気持ちよく話されているので、純粋に意図が伝わります。
私は酒を好みませんので、ウーロン茶で話に加わり酔っぱらっているのです。
それにしても、交通指導隊の皆さんが酔っている姿は、実に紳士的です。
仕事定年で終わって、活動をされている人、自営業で仕事の合間に続けている方様々です。

確かにお酒に酔っている新年会ですが、人生に酔っている幸せな人達であると思うのです。
私はお酒には酔わないのですが、ウーロン茶で極真空手に酔っているのです。
自分が修行し続けてきた武道家であるがゆえに、この道に酔っているという事です。
やりたいことを、現役で続けているのですから、酔いしれている幸福な人たちの仲間なのです。

 さて、人生に酔っている私の四肢五体は、ウーロン茶で酔っぱらいそのものです。
極真会館の運営に関しては理想の構想を描きながら、実現もできないであろうという事を平気で語り、スタッフに迷惑をかけています。
それも、愛情をもって平気で表現しているですから、周りにとっては迷惑なばかりです。
その話は、極真空手が永遠に続くような口ぶりで話すものですから呆れられます。

構想理想を話すのですから、私自身としては、気合を入れて、まるで宝石みたいに話しているのです。
それも、普遍性を持って話すのですから、異論の余地を入れられない話をするのです。
実に、不変な色、不変な硬さ、不変な調和の色の話になるわけです。
スタッフからは、金やダイヤモンドや真珠でありもしないのにという客観的な評価も出そうです。

さらに、付け加えて、宝石には生命はないと話の中でも強調するものですから呆れられます。
そして、言わんとすることは、私の構想理想は生命ある宝石であると価値づけをするわけです。
スタッフに迷惑をかけることは十分に理解できるので、「このような構想理想は素晴らしいじゃないか」という評価をブログで得ようと心掛けるのです。
逃げのようですが、なるべく迷惑をかけないという配慮という事でしょう。

このような構想理想が、極真会館手塚グループの真ん中を覆うのです。
その構想理想は、このグループの主流であると言わんばかりです。
スタッフは両手を挙げて歓迎しませんが、その道を妨げるというものでもなさそうです。
より検討を積み重ねて、実務的に何ができるかという事を、必死に検討しているようです。

 ところで、私の構想理想は、実に高いものを望んでいるのです。
実際に、二十数年間仙台で私に付いてきている弟子達は、少し認めているのです。
この構想理想で結びつけられた実際の運営に対して、評価もしてくれているのです。
その弟子は、もう無礼講で、何でも話して否定してきそうです。

結局、実際の弟子の実務面を見ると、好き勝手に扉を開いて、勝手に運営しています。
私に対するお世辞は全くありません。
そして、人とお金を握って、全てをコントロールするのです。
それに対して、私は「良くやっているな」という評価ばかりなのです。

ただ問題になるのはというならば、現実を追及するので、光が暗くなるという事だけなのです。
その為に、私の役割は、明るくなるために焚火をして燃やそうとする努力をするのです。
何に燃えなければならないかというならば、もちろん、構想理想にという事です。
そのような、旅のような生き方をさせて頂いているので、何の苦情もないのです。

スタッフは、全員信頼してしまいます。
決して疑うという事はないのです。
ただ、私から発する湧き出る発想は、止めることはできないようです。
そして、それをスタッフにぶつけるのですから、お互い愛情に酔いしれて刺激的なのです。

 そんなことですから、新年から構想理想に酔いっぱなしです。
強制ではなく愛情の塊で突っ込んでいくものですから、不思議にとらえられます。
愛情が満ち溢れているものですから、考えもよく、形もよく、味も良いように思わせてしまいます。
唇が、もうすでに、愛情によっているのですから、微笑むように見えるのではと思ってもみます。

私の五官が構想理想で動くので、調和がとれて美しいのではと思ってしまうのです。
それは、自分だけが信じる間違いない自己満足という事でしょう。
それでも、呆れることなく二十数年も一緒に歩んで下さる弟子に感謝です。
一緒についてくるという弟子は、常人ではないという事かも知れません。

これからも構想理想で夢を語り、酔い続けて世界を旅行する覚悟なのです。
拍子を合わせてもらうためにも、過激な事はブログだけにして対応しようともするのです。
このような生き方で、日々呼吸しているのですから、スタッフはたまったものではないのです。
それでも、スタッフの言う事を聞き入れて丸くなるのですから人格が柔らかになっています。

そんな新年会でのエピソードを含めながら、今年も人生に酔いしれようとするのです。
もう夢で、神経がマヒしそうです。
頭の髪の毛一本にも、夢が張り巡らされているのです。
そんな酔っ払いの、どうしようもないブログでした。