2018年1月25日(八段語録3188)
星は一つでは輝きを増さない


 実に、一緒の仲間がいないと寂しいものです。
自分を投入することができる家族がいるからこそ、生きがいがあるというものです。
極真会館手塚グループを継承させて頂いているので、投入できるという事で遣り甲斐も出てくるというものです。
例え独裁しても投入できなければ、寂しいだけで何ら生きがいにならないものです。

各道場の為に、自ら投入する何かできることを探すのが、日々の日課になっているのです。
この立場で投入することで、何ができるかという事を模索するのです。
私自身からエネルギーが放出するのは、そんな発想の時です。
そう発想すると、不思議に投球することが、止めても止まらないようになっていくのです。

エネルギーがMaxになると、火の玉になって目標をぶち抜くことになるのです。
そうなると、心が燃えて怒涛の進軍を齎すようになるのです。
全力で、ベストを尽くすだけの状態になってきます。
そのような状態での発想は、度肝を抜くようにもなってくるというものです。

結局一人の戦いになるのですが、それでもグループのためという気持ちになります。
そんなことから、光が見えてくるというものです。
一人部屋の中で、暗中模索しているときは、意外と不完全燃焼なのです。
まして、雪が町全体を覆っているので、外に出る気持ちにもならないのです。
だから、自己の投入ができる対象は必要になってくるのです。

 さて、世界を回ってみても、今まで培ってきた極真の伝統が生きます。
四十年以上の極真の修行は無駄ではないのです。
世界中の道場生に対して、指導できるスキルがあるのです。
このスキルゆえに、歓迎もされるという事になるのです。

確かに世界を回って指導することは、疲れます。
現地に行って来るだけで、帰国すると一週間は時差ボケで正常な活動はできないのです。
それでも、世界の道場生が喜んでくれるので、刺激は強烈なのです。
その強烈な刺激が、新しい自分自身を維持して行けるというものです。

ヨーロッパに行き、ロシアにも行き、アメリカへ向かうのです。
道場生が迎えて来るだけで、今まで培ってきた内容が爆発するのです。
地道に極真の修行をしてきただけに、こうして感動をもって報われるとは夢のような事です
この立場に立ってみて、さらに日々の地道な修行が大切であると思うのです。

こんな雪の降る寒い一日でも、現場に出かけて、道場生の顔を見たいのです。
何も話しかけることが無いにせよ、行くだけで心は満たされるというものです。
現場に行くと行かないとは、天地の差になるのです。
それは、私が動いたという事で、消耗するように思うのですが、実は心が広がるのです。

 ところで、日々年齢を重ねて老化していくのでしょう。
現場を訪れると、老化とは裏腹に、消耗するよりも、心は大きくなると言いましたが、その通りなのです。
物理の力学の法則とは当てはまらないものがあります。
かえって、一人で事務室に閉じこもっている方が心身共に消耗してしまうのです。

現場を訪れると、「千両の借金もいっぺんに返せる」という気持ちにもなります。
現場を訪れることができるとという事が、私の専売特許という事でしょう。
何処でも神出鬼没に行くことができるのです。
境界線は全くないのです。

パスポートも要らないし、道場生に声を掛けても変なおじさんにはならないのです。
道場生に気軽に対応できる会長というポジションは宝のような気がします。
もし、小学校前で児童に声を掛けたならば、すぐに通報されてしまう世の中です。
真心を込める道場生という対象があるという事なのです。

そのような意味では、有難いというほかないのです。
確かに、極真でチャンピオンは多く輩出されました。
その多くのチャンピオンは、オンリーワンだけになっただけです。
周りに一緒に輝いてくれる道場生を持たなかったチャンピオンは孤独なものです。

 そう考えると一人だけ孤独にいるとしたならば、寂しいものです。
過去の栄光は全く無意味という事でしょう。
私には、道場生という多くの人がいるのです。
夜空に無限な星たちの中に、私がいるという事でしょう。

それは、自分が輝いているというのではなく、周りから引き上げられて輝いているのです。
輝きの原点を、私の場合、道場生に置いているのです。