2018年1月23日(八段語録3186)
二人目の先輩に返事の手紙
思いがけないメールを先輩から頂き、ありがとうございます。
四十五年前と同じように、私に対して指導者としてのメッセージに感謝しています。
世間知らずでしかなかった私に、生活原則を指導して頂いたこと決して忘れません。
野外活動という実践生活で、的確に指導を受けたという実感を持っています。
初めて運転席から後ろを向いて語って下さった言葉が、今でも印象に残っています。
その表現は「建設的発想 建設的意見 建設的行動」でした。
九州地方での生活を共にさせて頂きました。
現場で初めて親しい先輩という事もあって、強烈なインパクトを感じたのでした。
実績がどうあれ、愛情でもって、生命に責任をもって下さったことに感謝しております。
右も左も分からない青春の真っただ中の中に、新鮮な日々の感動を受けました。
その都度、運転席で語って下さる言葉は、日々の歩みに的確でした。
同僚と同じように課題を抱えるのですが、言葉で整理されたものです。
この極真を、一度も修行の道を離れなかったのも先輩の指導の賜物です。
振り返れば、過酷な環境であっても、マイナス的発想をしなかったのです。
それだけ、強烈に最初の言葉が心に響いたのでした。
六十五歳になるまで、一度も人生を諦めなかったのも、この時の指導であったのです。
さて、振り返ると個性の強い私は、誤解を受けることが「人生」で日常茶飯事でした。
誤解される生活が、先輩と別れた後も執拗に継続しました。
その度ごとに、最初に指導を受けた「建設的・・・・」が生命線になったのです。
否定をされながら、決してひねくれることのない生活が送れたのです。
他の先輩が辞めていく中で、一兵卒としての歩みを志していました。
何度も変化を提言されても、受け入れられなかったのです。
それでも全国の道場を転々しました。
それでも、感動したからには、続けなければならないという心だけが残っていたのです。
苦しい胸の内を秘めながら、人生を振り返ったものです
それまで、何度も機会あるごとに要請したのです。
地方大会、その後全日本大会に参加するようになりました。
あくまでも、総本部の指導を願われたようですが、それでも心は動きませんでした。
昇段が正式に決定した時には、天にも昇る気持ちで心の感動を覚えたものです。
それから、あらゆる創造性を駆使して、地上最強の空手を目指しました。
道場を運営するという事が、夢の始まりになりました。
新規ラインから教育ラインそして実践・研修の一貫した流れの構築でした。
もちろん、総本部には理解されず、昔から選手を作るために多くの人が犠牲になりました。
ところで、理解されないものですから、隠密に教育ラインを構築したのです。
拠点主義からラインへの移行で、水も漏らさぬ教育ができて、一年も過ぎると選手の排出です。
大量に選手が輩出されるという結果が出ると、いつの間にか認めるのが総本部の姿勢のようでした。
道場からの要請で教育の先頭に立つという道を開き、全国をリードしようとしたのです。
この教育ラインを武器に、現状でも指導員として歩むことができました。
そんな中、人を教育するという事を意識しながら仙台に戻ったのです。
避難民のように仙台道場に降りての開拓でした。
何も立場が無かったので、大学・大学院と学業を修めて社会的信頼を得ようとしました。
仙台での活動するようになると、教育者として本領発揮です。
そこで、人を増やすものですから、称賛もされました。
そこで、他の極真から干渉されない、仙台道場での基盤拡大を選択しました。
おかげさまで、変なレッテルを張られることなく、他の極真と調和できる道になっているのです。
極真会館での新規と教育は、教育ラインの活用に何物でもないのです。
「級」が十段階ありますから、その中できめ細かい教育をします。
さらに、有段者になって貰って、指導に回ってもらうのです。
その結果、道場拠点主義の何十倍の人材を一挙に広げることができたのです。
その実績を踏まえて、極真会館で副会長まで引き上げて頂きました。
今現在極真全体を見渡すと、教育ラインによる人材復帰に対するスキルを持った指導者は消えてしまっているのです。ただ強ければ良いという安易な考えです。
もちろん、嘆きたい気持ちにもなります。
だからと言って、今の他の極真の指導者に提案することは二の次にしているのです。
あくまでも、極真会館手塚グループの教育ラインで基盤拡大での戦略です。
否定される事に慣れています。
極真会館手塚グループの成果を、世界巡回活動の大河になれるようにしたいのです。
戦いの場を、極真会館だけで終わらせようとしたくないのです。
必ず、空手界に繋げていきたいという希望を持っているのです。
大それた戦略であると思うかもしれませんが、夢が先立っています。
極真空手という地上最強の組織を人類72億につなげるのです。
極真空手は、私にとって、登山口の入り口なのです。
手塚グループでの大量に教育できるという標本づくりです。
今回、熱海の中田屋での同窓会で更なる力を頂きました。
先輩が、私の心の支えのままの指導者であったことがありがたかったのです。
色々このグループで、研究したいことがたくさんあります。
その時は、よろしくお願いします。