2018年1月8日(八段語録3177)
トレーニング


 トレーニングジムで稽古を入念に二時間、行ってきました。
今年に入って、五回目のトレーニングでした。
このトレーニングは、選手時代から四十年以上続いているのです。
道場以外でのトレーニング方法として、ジムでの稽古は、定着しているのです。

きっかけは、大会で足を骨折していたことでした。
歩くこともできなく、松葉杖での移動しだったのです。
選手時代でしたから、稽古をしなければ、心に溜まっている「もやもや」と体内の毒素を排出できないと考えたからでした。
どのように取り組んだかというならば、ジムのプールで浮力を使ったトレーニングでした。
当時のジムは、入会金が五十万円ほどで、利用料が毎回千円という高額でした。

両親に頼んで、お金を工面してもらいました。
苦しい時の親頼みという事でしょう。
入会金と、それから一か月利用するので、毎月三万円振り込んでもらいました。
自分でいうのも恥ずかしいのですが、親があってのトレーニングになったのです。
当時は、スポーツジムは一般化していませんでしたので高額だったのです。

それで、どのようにトレーニングをしたかというならば、プールでの稽古でした。
浮力があるので、歩行しても水の中では足の痛みは軽減して痛まず稽古ができたのです。
三戦立ち、前屈立ちからの突き蹴りと、稽古を一時間繰り返すのです。
それを、四十年以上も継続しているのですから、この稽古方法は専売特許のようなものです。

 さて、今年もこのトレーニングを継続しているという事です。
もちろん、残りの時間は泳ぎまくるのです。
距離でなく、時間で泳ぎますから、相当な距離を泳いでいるのです。
泳ぎは普通にクロールとか平泳ぎをしますから違和感はないのです。

ところで、プールでの突き蹴りは、水中を掻き切るのですから水の動きと波が立ちます。
それも、突きも蹴りも一突き入魂、一蹴り入魂ですから、周りから苦情です。
要するに、そのようなプールの使い方など見たことも聞いたこともないので、驚くのです。
プールの指導員から何度も注意されて、迷惑かけないようにという助言なのです。

そのうちに、一緒にプールで泳いでいる人も、諦めて苦情を言わなくなるのです。
普通の稽古ですと、空気が相手ですから、それほど抵抗はないのです。
しかし、水が相手という事で、強く打ち込めば抵抗は空気の何倍にもなるのです。
水中での空手の稽古と泳ぎで二時間プールにいるだけで、相当の鍛錬になるのです。

その鍛錬を今でも続けているのですから、信念があるという事でしょう。
継続は力という事です。
今でも、それなりの極真ボディを保てるのも、日々の稽古という事です。
それも、私のオリジナルの稽古が、今でも誰も真似をしていないのです。
それだけに、自信をもって、この稽古を日々の日課として続けていくという事です。

 ところで、具体的にどのようにして稽古をしているかという事です。
二十五メートルプールを、前屈立ちで五十メートル道場と同じように前進します。
その後、膝蹴りを五十メートル水圧に負けないように前進するのです。
ここで、心拍数が結構上がりますから、五十メートル歩くのです。

次に、前屈立ちをしながら順突きで思いっきり水圧と格闘するのです。
五十メートルも前進すると、水中でありながらも汗が額から流れるくらいになります。
その後、前蹴りを五十メートル、逆突きを五十―メートル、回し蹴り、後ろ蹴り、三戦での五本突き、蹴りでの三本蹴り、五本蹴りと継続するのです。

休むことなく、一時間で終了するのです。
それが終わると、一時間の泳ぎが始まるのです。
最近は、防水のウォークマンを両耳にかけて、苦しさを音でごまかしています。
ちょうど、エアロビクス感覚でしょうか。

そうしている中で、肉体の限界まで到達する所まで行くのです。
それが、今でも筋力が衰えない理由なのかもしれません。
今も、周囲の苦情など耳を貸すことなく、ストイックに取り組んでいるのです。
おかげさまで、今までスポーツジムを追い出されたという事もなく実践しているのです。

 結論として、極真空手の稽古を先輩から受け継ぐだけでなく、自分なりの改良をすべきです。
私のこのような鍛錬方法は、確かに足の骨折に由来していますが、その時から続けているのです。
そして、私自身のライフスタイルになっていという事です。
年齢が高齢になったら稽古ができないという事では決してないのです。

どこまで、現役で指導できるかという事が私の目標になるのです。
それは、現場の主人公でありたいと思うからなのです。
趣味で極真空手を修行してきたのではないのです。
まさに、生命と生命のやり取りの如く、命がけに稽古を継続してきたのです。

全日本にも出場しましたし、この修行の苦労は言葉で表すことはできないのです。
生命の核心をすべて注いで、愛情をもって歩み続けたのです。
それだけに、極真空手を離れようとしても離れることのできない因縁を持ったのです。
極真空手に確かに魅了されましたが、今では極真を引っ張っていっているのです。

そして、今では、内容と目的が一致するような境地を目指しているのです。
この極真ワールドは、自己の投入の何物でもないのです。
そのような経験から、自分自身の尊さを学んだといっても過言でもないのです。
人としての欲望の最終着地点、欲望を最大満たす方向を発見しようとしているのです。